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くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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原作では老若男女に留まらず犬とまでまぐわっていた魔性のビューティー結城美智雄が映画ではあまりにもありがちな無敵くんになっていたのに対して、賀来神父はちょっとムサい受に華麗な転身を遂げておりました。簡単に言うと

原作

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賀来×美智雄


映画

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美智雄×賀来


みたいな。
なんという下剋上。
でもどっちにしろ主導権は美智雄のものなのであんま変わりはない。


容赦なくあらゆる人間を惑わしては殺す、冷血で残忍な男 結城美智雄。その犯行を知りながら見捨てられず、彼に翻弄されながら次第に壮大な犯罪計画に巻き込まれて行く賀来神父。彼らを結ぶのは、10数年前に端を発した、ある悲劇の記憶だった。


企画発表直後から原作レイプの呼び声高かった本作ですが、山田孝之と玉置宏の宝塚っぽい口調目当てで行った私は存分に楽しみました。
宝塚っぽい口調は下の動画を見て各々確認してください。




まあレイプはレイプとして当然為されてはいたわけですが、あの原作を寸分違わず再現されてもそれはそれで近づき難い気がします。
ただ原作のガチホモ感は現代風にソフトな味付けとして雰囲気を残すに留め…てまーいーや要するにBLですよBL。腐女子ホイホイ。
何かさー制作者は狙ってると思うよねー
あたいの孝之に

「俺はお前さえいればそれで良いんだ」
とか
「俺と一緒に逃げよう」
とか
「一緒に死のう」

とか言わせんのやめてくれる!(ぷんぷん)
まあ原作が原作だしBL描写くらい何でもないっちゃないんだけど、原作美智雄の性的倒錯はMWによる後遺症と、宿命的に人を愛せないが故の賀来(世界中で唯一自分と同じ境遇を持つ者)に向ける執着のせいであってホモとは違うと思うんだよね。仮に賀来が女でも、美智雄は賀来に病的な執着を抱いていたはず。んで賀来が美智雄を拒めないのも、愛とか欲とかよりは情つーかさ。まあ情だとか何だとか言いながらしっかり美智雄との関係に耽溺しているところが原作賀来のずるいところよ。

ま、ともかくストーリーについて語れるレベルの映画じゃないです。最初の誘拐シーン長すぎ(アタッシュケース死守した意味無いやん!)。あと不必要にカメラ揺らし過ぎ(小娘一人撃ち殺すくらいでもったいぶったカメラワークいらん。ちゃっちゃ殺せ)。あとスケールが小さい…(みもふたもない)
それから、原作ではベトナム戦争中だか第二次大戦中だかに「ある国」が開発した殺人ガスが日本のとある島に保管されててそれが漏れたって話だったんだけど、映画ではそれが「湾岸戦争中」に開発されたって事になっててさあ…

うーん…ちょっとそれは…苦し過ぎない?と思わざるを得ず。戦争なら何でも良いのか?湾岸戦争ってつい最近なんだけど。 ほんの10年ちょっと前に日本がアメリカさんの言われるがまま大惨事を揉み消したって言われてもあんまリアリティー無い。昭和だよなあーせめてさあー。
↑アメリカ関係なかったかも。いやごめんなさいちょっとここらへんうろ覚えです。いい加減なこと書いてごめんなたい。


あとMWの隠し場所に侵入した民間人を「撃つよ」「良いよ」でヘリから攻撃始める米軍さんには思わずワラタ。「フルメタルジャケット」のオマージュかと思った。フゥフハハー!つかそんな機密事項ならあんな簡単に人が入れる事自体おかしいだろ!まあこんなレベルで突っ込み入れてたら夜が明けるんだけどさ。


とにかく真面目に見れば見るほど安っぽさとつまんなさに苛つく事請け合いなんで、ここは山田孝之のムサい受っぷりと「私服がどう見ても田舎の大学生だよ」的な垢抜けなさを堪能しましょう。 この人まったく神父に見えないので、一応ぶら下げてるロザリオがビジュアル系バンドにハマった男の子っぽくてダサ可愛い
(盲目の愛を注ぐ私)。

あ、あと出演者のみなさんが意外に英語上手かったので感心しました(何様)。みんな凄いなあ。これで映画さえ面白きゃねえ…








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映画効果か…
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正直に言って私は「ROOKIES劇場版」なんかを観に来る人たちに対して「へっ」とか思ってた。相当馬鹿にしていた。
そもそもがテレビドラマ→映画化 という流れは昨今の邦画界を蝕んでいる悪しき金儲けメソッドだと思っていたし(これに関しては今もそう思っているけど)、そんな安易なやり方にあっさり釣られてホイホイ映画館に足を運ぶドラマのファンに対しても「馬鹿なんじゃないだろうか」と心の中で毒づいていた。「感動したー」とか「泣いたー」とか言ってる人たちを、苦虫噛み潰した顔でとっくりと眺めたい衝動に駆られた事もあったかもしれん。てか実際そんな顔で見た事もあったかもしれん。わからん。忘れた。

ありとあらゆる映画批評ブロガーやネット映画評論家の皆様が口々に「つまらん。見る価値なし」と言いたいところを二重三重にオブラート的なものでくるんで(という風に私には見えたってだけで皆様の真意など測りようもありやしませんよ念のため)「ドラマの最終回としては面白い。ドラマを見ていない人は、映画館に行く前にDVDでドラマシリーズを予習しましょうね」なんつう誰も傷つかない代わりに誰にとっても面白くも何ともない感想を口にしているのを見るにつけ「そんなにドラマが見たいなら家でDVD見てろ」と鼻で笑いつつ呟いていたわけです。

でも謝る。私は間違ってました。
いや間違ってなかったかもしんないけど、少なくとも私にROOKIESファンを笑う権利はありませんでした。




「やっぱこれ楽しむ為にはアニメ+映画2本観とかないと駄目だよなあああ!一応全部追っかけといて良かった!これは今までエヴァを追っかけた人たちに向けてのご褒美だよねえ!」

って「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観て思ったから。思考の流れを言語化してみて予想以上のキモさに震えました(実況)。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」に続く新シリーズの2作目である今回。前回の「序」が旧TVシリーズに割と忠実なストーリーで描かれていたのに対し、今作ではこれでもか!と言わんばかりの変革。フェイント。そして破壊。その中で最も大きく変化していたのは、登場人物たちの人格である。
例えば、お弁当を勧めた綾波に「お肉は嫌い」と言われても、今回のシンジはめげない。
「じゃあ、お味噌汁なら食べられるだろ?」
「……おいしい……」

おおお!コミュニケーション能力が上がっている!!
そもそもみんなのために弁当を作るシンジが奇蹟。
ていうかレイが「おいしい」とか!あああ!良かったねレイ!
アスカもふつーに食べて「意外と美味しいわね」とか言ってたよ。
弁当みんなで食べてる様子が凄い良かった。なんか…
ひょっとして今回はみんな幸せになれるんじゃないか?と期待してしまった。
エヴァなのに……!くやしい…!(ビクンビクン)

そう、今回の映画が今までのエヴァと違うのは
物語全体を包み込む「健全オーラ」。
たとえ!たとえあと2回でこの雰囲気が完膚なきまでに叩きのめされるとしても!
それでも良い…今はこの幸福感に浸っていたい…

まー、あと映像がきれいとか動きすげーとかは
当然のことなのでわざわざ言いませんがですね。
良かったよほんと。
冒頭であんなこと言いましたが、今までエヴァに触れていない人でも、序をDVDで観て、破を映画館で観るだけでも十分楽しめる筈です。
ほんとオススメ!


関連エントリ

んでいざ観に行ったらこの言い様なので
きっと友達にはなってくれない。
役者に罪は無い… 「ROOKIES 卒業」

今日は映画の日だったのねー。道理で異様な混み具合だったことよ…

つーことでほぼ満席の映画館で観てきたのはウディ・アレンの最新作。身持ちの固い現実主義者、ヴィッキーと奔放な快楽主義者クリスティーナがバカンスに訪れたバルセロナで女好きの画家と出会い恋したりしなかったりのラブアフェア!ジャーン(擬音)!

つまんね。←感想


いや…あのね何てんですかね、私あんまりウディ・アレンの熱心なファンでもありませんからね、良さをあんま理解してるとも言えないんだけど、なんてーかこの人の映画って所々で「クスッ」みたいな、思わず笑っちゃうあけっぴろげで開き直った登場人物達の会話が魅力なんだと勝手に思ってた訳ですがね…
そういう期待をして行って、んで軽い肩透かしを食らった訳です。
あとね、私以前にも書いたかもしんないけど、スカーレット・ヨハンソンの演じる女を何故かいつも好きになれないんですよ。
それはいつも「基本ビッチなのにビッチである事に関して一つも痛い目に遭わないビッチ」の役ばっかだから。
今回もご多分に漏れず、スカージョの演じるクリスティーナは自由な恋愛に興じながらも、真実の愛と確固たる(誰にも似ていない)自我を追い求めるアメリカ生まれのビッチさん。クリエイティブ方面で才能を開花させたいと望んでいる芸術家ワナビーで、友人のヴィッキーとは対照的にあっさりと画家の誘いに乗る。
で、結局彼と二人で暮らし始めたところに彼の元妻が転がりこんでくる。そこで奇妙な三角関係が始まり…

この時点で私は「あー、てこたスカージョさんが元妻に男盗られておんだされんのかー」と思った。んで、(まあ何て根性がいがんでることか)それなら面白いかも、と思いもしたわけだ。
だってさー つまんないじゃん。いつもちやほやされてるだけの女優なんて。たまには意地悪な役とか、みっともない役とかやってくんないとさあ。
例えば、吉永小百合がすっごいエッグい不細工でネクラな老ホテトルとかやるって聞いたら、見たいじゃん。…いや見たくはないか…少なくとも「北の零年」とかよりは興味惹かれんじゃん。

つー事で、まあちょっとだけそういう展開になるのを待ってたりもしたわけだ。んだけどさー。


あ こっからネタバレかも。


結局最終的に、まあスカージョは全然痛い目に遭わない。
奔放で危険で魅力的な三角関係を存分に楽しんだ後、飽きて一人そこを去っていく。
再び自分探しの旅に出るのだ。
画家とその元妻を捨てて。
もちろん、劇中では選民思想のワナビー女であるクリスティーナの傲慢さや無様さも多少描かれはする。ありきたりな恋愛や価値観を馬鹿にして、自分は特別な存在だと理由も無く信じ込んでいる、という ヴィッキーの夫によるクリスティーナ評は驚くほど的確だ。

んでもそんだけなんだよなー。いや…この映画の言いたいことは分かりますけどね。旅先で驚くような出会いがあって、それが自分の人生を180度変えてしまうような恋を生んだとしても、結局 めまぐるしい変化などは起きないし、起きたとしても大抵の人はそんな決断は出来ず元の日常におさまるものだ。何故なら人間は、それと知らずに自分自身の人生を無数の選択によって作り上げているから。心から運命的出会いを求めていて、いざそれに出くわしても、結局そちらには行かない。なんてことは良くある事なんだろう。人間には分相応ってもんがある。それを表すのがあのラストシーンだとしても、もうちょっとクリスティーナを汚してくれても良かったのにな、と思う。何だろう、こんな事を考えるのは私だけなんだろーか。ただ私がスカージョ嫌いなだけか?まあそんでも良いけど。


ま、ヴィッキーを主人公と思って観ればそれなりに面白かったかなと思います。スカーレット・ヨハンソンのファンとウディ・アレンのファンにはオススメ。
それ以外はどうかなあーペネロペも「ボルベール・帰郷」の時のが30倍魅力的だったし。
何より「ノーカントリー」のシガーがちょっとヒゲ生やして髪切っただけで女たらしの画家だなんて思えない!一緒にワインなんて飲んだら殺されるわい。額に風穴で一発だわい。


まーとりあえずスカージョは相変わらずの特別扱いでしたよ。
つまんねーなあああー!たまにはぐずぐずに振られて泣けよ!(嫌いすぎだろ)


こいつに泣かされるなんて…くやし可愛いいいいい(びくんびくんびくん)



貧乏な親子のもとに現れた謎の生物「ミラクル七号」が起こす色々で上手く行ったり行かなかったり(世界一やる気の無いあらすじである) 。

何なんだこのじわじわくるキャラクター造形!きゅんだよねー。等身大ぬいぐるみちょっと欲しくなるもんねー。

何だろう…何か…別に何も言うこと無いくらいシンプルな話なんだけど、ちょっと泣いちゃった…エヘヘ…筋が込み入っているからって面白いとは限らないし、単純だからってつまらないとは限らないのが映画だけど、じゃあ何がどうならオッケーなの?って言われると何だろうねえ。分かんないな。
ただ一つ言えるのは、私は登場人物たちが仲直りするシーンが好きだということ。
子供同士の仲直りは「ありがとう」で仲直りするのが良い。
大人同士の仲直りは「悪かったな」が良いかな。
大人と子供の仲直りは、子供が大人にしがみついて大人が子供の頭を撫でてやるのが一番良い。
この映画の仲直りは全部完璧。
あといつものチャウシンチー流悪ふざけも、今回は適度でまだ笑えるレベル。「少林サッカー」の生卵天丼ギャグ(笑えないけど)に胸を悪くした人もこっちはきっと大丈夫!

それとこの映画の主人公である少年を演じたのはれっきとした女の子らしいと聞いて驚いた。
何か…やっぱ変な人だなチャウ・シンチー。フェティッシュな匂いさえ感じるわ。
またこの子が全然美少年風に撮ってるというわけでもなく、どっからどう見ても少年なあたりに病巣の深さが伺える。

80分の短い映画ですが、ナナちゃんに癒されて危うく涙しちゃう良作。軽い気持ちでの鑑賞がオススメです。




ストラップやべえな!



「意外とこういう映画の方が何回も観たいかもしれん」
とみっちゃん(従兄弟)も言ってましたよ。

あまり日常では感じない事なんだけど、今日は久しぶりに「ああ私日本人だわ」と感じた。日本人というか、「私はこの映画を作った人達と間違いなく同じ人種だなあ」とでもいうか。

明治40年、前人未踏と謳われた「劔岳」に挑んだ男達の話である。彼らの目的は地図を作ること。実際に山を上り距離・高度を測る為の点を記す為に、命をかけて劔岳に登ったのである。
で、撮影クルーも出演者も実際この劔岳に登って映画を撮ったというのがこの映画の売りで、それを聞いた時は別段山が好きでもなく登山経験も無い、というかあんなこと好んでする連中の気持ちが全く分からんと常日頃から思っている私は当然ながら「ふーん…まあ景色は綺麗なんじゃね?」程度の感想を抱くに終わったのだった。

まあ、いくら景色が綺麗でもさ~
どーせ淡々と山のぼんでしょ?
んで二度三度危ない目に遭ったりしてさー
んで結局色々あったけど登頂出来てさー
良かったなーみたいなさー
と思ってた。し、観るギリギリまで正直躊躇してた。で観ると決めた瞬間から軽く後悔してた(はえー)。


いやしかし!
とんでもないよ!
結果的に言うとかなり感動しましたよ!

んで感動の内訳には景色の美しさが予想よりも相当ずば抜けていたってのがまずある。とにかく壮大で、何てのか、四季さえも凌駕していた。麓には川が流れ花が咲き誇り、頭頂に近づくにつれ夏でも溶けない氷が視界を覆い、そして朝に夕に 唐突に登山者を襲うのが大雨、大雪、嵐のような突風に雪崩れである。
更に印象的なのが、美しさに比例するかのように厳しい自然という一面。風や雨はまるで主人公達をはたきおとそうとするかのように吹きすさび、降りかかるし、人間が些細な、非常に些細な兆候を見落とし、聞き落としただけでそれらは容易に彼らの命を奪おうとさえする。
悪意にも似た壮絶な厳かさが、「劔岳」という名に相応しく、無数の尖った剣の切っ先が寄せ集められて出来上がったかのような鋭い岩肌と相俟って登山者を拒む。
それに挑む人間の姿。
遥かな頂を目指す人びとの、小さな背中をカメラはロングで撮るんだけどもうその映像が!問答無用の迫力を持ってスクリーンを覆い尽くすのだ。いやー凄いほんと。

それと、もちろん映画なんで主人公たちの人生が登山の合間に描かれるのだが、それがあくまでも「添え物」なのである。いや添え物というか…あくまで控え目に描写されるに抑えられている。
その控え加減が、観ていてとても心地良い。
登山する仲間内で、特に派手な喧嘩や仲直りが描かれるわけではない。ひっそりとした不信感や不満が役者の表情に表れたり、簡素な謝罪と感謝の声があったりするだけ。それでも、クライマックスで主人公が登山の案内役に発する

「私達はもう仲間なんです。」

が全くわざとらしくない。それどころか、しみじみと泣けさえする。
登場人物達は、私達が日常で行うのと同じように知り合い、怒り、悲しみ、恐れ、そして理解しあう。
非常に日本人らしい体温の映画だ。宮崎あおいがどう見てもいらない事以外は文句なし!のオススメ!
 


原作もどうぞ。


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