くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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そういえばこれ書いてなかったわ。
まー説明するほどの事は何も無いでしょう。
あの人のライブのリハを映画にしたやつです。
でね。
正直私はあの人のファンでもないし、世代的なズレもややあるためか全くあの人に興味が無い人間なんですけど。
そんでいくら何でも亡くなってすぐ間もなさすぎね?って事とか2週間限定上映を後から4週間に伸ばすやり方とか、リハーサルを映画にしちゃう反則感とか、あとどっかで聞いた「完璧主義者だった弟はリハーサルを観客に見せるのをよしとしないのでは…」というマイコーのブラザーの声とかそういうあれこれをひっくるめて どっか冷めた印象を持ってたんですどっちかっつえば。つえばね!
んでも友達から熱烈なプッシュが入ったので、まあ見てみようかしらん。と思って行って来た次第。
凄いのがさー。
観てきたのが六本木ヒルズのTOHOシネマズで、そん中で一番大きいシアターだったんだけどそれがほぼ満席だった事。
最前列まで人ぎっしり。
水曜日でも何でもない平日の夜ですよ?ありえない。
んで、曲が終わる度に何人か拍手してたりする。映画まだ終わってないのによ?これはさすがにいつもは映画の最中に発せられる雑音全てファックとさえ思ってる私もムカつけない。
ただすげーな。と思う。
で、ちょっと話は前後するけど。
映画の冒頭にダンサーのインタビューが入る。
彼らは今回のツアー参加に際してのオーディションを勝ち抜いた、よりすぐりの精鋭達だ。
美しくて、ダンスが完璧。スタイル抜群で才能に溢れてる。でもそこまでは当然の条件で、その上で他から抜きん出た華のある人だけが、彼の側でスタッフとして踊る権利を手にする事が出来るのだという。
で、インタビューにはそんな人達がもうキャッキャしながらマイケル・ジャクソンと踊れる!という喜びを隠さずに語る様がありのまま映されている。
僕は毎朝シリアルを食べるより先に欠かさずムーンウォークをするよ!とか
オランダからオーディションのため地球を半周して来たよ!とか
2日前にオーディションがあると知って、全てを置いて飛行機に飛び乗ったよ!とか
皆口々に「夢が叶った!」と言って涙ぐむ。
で、私自身の話をすると、もうあの人の事なんか全くと言って良い程知らない訳ですよ。
寧ろマイナスなんですよイメージとしては。ロリコンとか!整形とか!
そんな私を周囲の空気が苛むんです。
お前は何も知らねえと。
あの人がどんだけ凄いか全然分かってねーと。
不安になるじゃないですか。そんなの。
え、まじで。ほんとに?そんなすごいの?って。
そんな言うなら証拠見せろよ!ってなるでしょ。
見せられる訳ですよ。満を持して。
まあこんなんきっと観た人みんな言ってるだろうから言いません。とにかくすべき事は目を皿みたいにしてスクリーンを凝視するだけ。あとは気付いたら身体が自然に動くから。勝手に足がリズム取っててビビるから。
エンドロールが終わり、明るくなった場内を 割れんばかりの拍手が包み込む。こんなん初めて見たよ。
でも此処に至ってはすげーなとさえ思わない。
まあそうだよね。
そら拍手もするわいな。
そう思う。
しかし何とも貴重な体験をしました。
こんなに愛されていた人だったんだなあってことを、観客の反応やあの人を取り囲んでいるスタッフ達の姿勢や一言一言で感じたし、漠然と今まで抱いていた「何がすごいんだろう」「何故あんなに騒がれてるの?」っていう疑問に、これ以上無い形で答えてくれた映画だと思う。
この「目から鱗」っていうか、ああこういうことだったんだ!こういう人だったんだ!っていう何かが解消したような心地よさは、むしろファンじゃない人の方が感じられるところかもしれない。
何よりどうせファンは既に最低一度は観てるだろうし。
大してファンじゃないよ、ていうかほとんど知らないよ、何か整形した人でしょ?ポウって言う人でしょ?
ぐらいの。そんな感じの非常に淡白なイメージしか持ってない人にこそオススメ。
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さて。長々と時間をかけている割に大した事を書いてない、でお馴染みのお話でございますが。
前回は原作で言うところの「夕凪の街」にあたる部分までの紹介をしましたが、今回はその続き。約50年後の東京に舞台を移した続編「桜の国」にあたる部分に触れます。
で、私はこの映画版については「夕凪の街」に関してはあまり評価出来ないんだけど、「桜の国」の展開というか、語り口には結構満足している。
まずキャストの面で、「夕凪の街」よりも粒揃いで演技力も安定している。
七波を田中麗奈、七波の友人・東子を中越典子が演じている。この二人が実に良い。
凪生役の金井勇太も、さほど登場は多くないが印象的だった。
物語は、七波が父・旭の不審な行動に疑問を持ち、駅で17年ぶりに出会った小学校の同級生である東子と父の尾行をするところから始まる。
父が広島行きの夜行バスに乗り込んだところで諦めようとした七波を、何故か東子が強引に押しきり結局二人で広島へ。
そこで物語は旭と、彼の今は亡き妻である京花の出逢いを、七波と東子の道行きに絡めて語り始める。
それらふたつの時間軸を持って、被爆者というラベルを付けて生きざるを得なかった人々、そのラベルを無視出来ずに生きる人々の悲しみに寄り添うように静かに描かれる本作は、「夕凪の街」と同様、いやそれよりも映像化に向いた物語であると言えるが、この映画で特に私が「おお」と思ったのは、平和祈念館から帰って来た東子が思わず気持ち悪くなってしまうシーンだった。
ぐったりしている東子を支えながらやむを得ず、七波はラブホテルに入る。部屋の鍵を開けて扉を開いた瞬間、七波を突然のフラッシュバックが襲った。小学校から帰宅して、床に血を吐いて倒れている母親を発見した時のことを思い出したのだ。立ちすくんでいた七波は、東子の謝る声を聞いて我に返る。
彼女の方に振り返ると、自分の左肩に彼女の吐瀉したものがかかっていた。耐えきれず吐いてしまったらしい。
で、吐いたものをこの映画では結構はっきり映している。邦画ってこういう、いわゆる汚物の描写からさらっと逃げる事が良くあるので、正直ちょっと意外で、かなり好印象だった。
同時に、何故これを「夕凪の街」で出来なかったのかと残念に思った。
皆実の唐突で残酷な、救いのない死を描写する上で決して外せないモノローグ、
「夜おそく まっくろな血を吐いた」
これをしっかり映像で見せていれば、この作品を映像化するという意思を強く感じられたのになあと思う。
映像化するということは、文字通り映像にして客に見せるという事であって、絵に描かれたものをそのまま映像に起こすだけではもちろん駄目だけど、見せるべき絵というものもやはりあるわけで。そこを外してまさに換骨奪胎、といった様相の映画化が特に日本映画には多い気がする。過剰な気遣いが作品のメッセージ性を殺してしまうというか何というか。
まあ、わざわざ恐ろしいものや醜いものを映さずに表現して観客に理解させるというのも手腕の一つといえば一つ。この作品でそれが出来てるかは人それぞれの判断として。
いずれにしろ、原作にも触れることを前提にして、オススメです。
理解する必要は無いかもしれないけど、出来る限りの事を見て聞いて考える必要のある事だとは思う。
だから映像化にもそれなりの意義はあったんじゃないか。と思いはする。思いはするんですが…
原作と映画、どっちが先でも良いけど、まあ多分原作先の方が分かりやすいかな…
んで映画観たら次に「イキガミ」観て金井勇太の演技力を判定するもよし、「おろち」で中越典子の女優ぶりにおののくもよし。
関連エントリ
中越典子の「影」と「裏」(あれ、光は?)
→美猫たちの闘い 「おろち」
忘れていた訳じゃないんだ。
(第一声が言い訳)
時間が経てば経つ程何を言えば良いのか分からなくなるという不思議について、
「それ全然不思議とちゃう、時間が経つにつれ記憶が薄れとるだけや」 と兄ちゃんからもっともな指摘をされて目が覚めた節子(27)。 そうか!みたいな。
んでねー。
この映画取り上げるとなると必然的に原作の漫画に触れざるを得ないんですよ。そこが、この映画の感想に手間がかかる原因なんですよ。映画だけについてなら「いまいち」の一言で終わるんだから(あっ)。
まあ、今さらこうの史代の「夕凪の街 桜の国」という名作について何やかや言うのも気が退けるのであらすじとかは省きます。この作品をご存知無い方は深く反省した後に本屋へ走って下さい。
これは間違いなく、現代を生きる我々が読んでおくべき名作ですから。
買うなら文庫版が手軽でおすすめ。
で。決して映像化に向いてない漫画ではないと思う。絵柄も素朴だし、アクロバティックな展開(?)も無い。
ただ非常に淡々と進む物語なだけに、そのまま映像化したらただの地味な映画、になってしまう恐れはあるかもしれないが。まあそんくらい。
寧ろ原作の奥行きのない背景は、実写化することで一気に説得力を獲得するかもしれない。
展開は見事に原作通りで、まず最初に終戦から10年後の広島が舞台の「夕凪の街」編、それが終わってから現代の東京が舞台の「桜の国」編と続く。
個人的にはこの2つを混ぜて、異なる時間軸をクロスオーバーさせたりするのも楽しそうだけど。と思ったりもするが、まあこれは別にどっちでも良い。
「夕凪の街」の主人公・皆実は麻生久美子。ビジュアル的に悪くない感じ。あのおっとり感が似てるかも。恋人の打越豊役は吉沢悠。これもなかなか良かった。
ただねー。
この原作を映像化する上で絶対外しちゃいけないのが、あのあまりにも唐突に残酷に訪れる死だと思うんですよね。
あの死は、主人公に死を受け入れる時間を与えてくれちゃ駄目だと思う。
主人公は、「10年経った今でもわけがわからない」ものに、好きな人が出来て、その人が自分の負い目(たくさんの人を見殺しにして生き延びたこと)を聞いてくれて、受け止めてくれて、そんで漸く前向きに生きていこうと思えた途端に殺されたのであって、だからこそあの、死に際のモノローグが意味を持つのではないか。
なぁ、嬉しい?
10年も経ったけど、原爆を落とした人は私を見て
『やったぁ!また一人殺せた!』
って ちゃんと思うてくれちょる?
それは、自分に訪れたあまりにも不条理な死に、誰かの意思を、理由を、必然性を欲する主人公の叫びではないか。
何故自分が、終戦から10年経った今死んで行かなければならないのか、どうせ死ぬなら何故あの日ではなかったのか、という問いに答える声を欲したからこその言葉ではないか。
その問いに与えられる答えが、世界中の何処にも無い事こそが原爆という世界最悪の兵器がもたらした最大の悲劇なのではないか。
映画版の皆実は、少なくとも原作よりは心安らかに死を迎えているように見える。
家の裏にある野原で、木にもたれて弟・旭と打越のキャッチボールを眺めながら死んでいく。
原作ではかなり壮絶な死が、あまりにも淡々と描かれる凄味があるのだが、私はそれこそをしっかり映像化すべきだったんじゃないかと思う。
何故なら、これは救われる余地のある物語であってはならないからである。
だからこそ物語はおよそ50年後に舞台を移し、続かなければならなかったのだ。
第二部「桜の国」こそが、皆実の壮絶な、不条理な、無意味な死に対する唯一の答えなのである。
まさかの続く!
まあこのブログでも無駄に書きなぐってきましたが私は新井浩文という役者さん(写真上)がことのほか好きでして。
初めてこの人を見たのはしつこいくらいプッシュしている「青い春」という映画なんですが、それ以来気付いたら出ていたり気付かないくらいの端役で出ていたり出てると思ったら遠藤要(写真下)だったりしたわけです。
改めて見ると別に顔が似てる訳でもないんだけど何故見間違えたのか我ながら不思議。後日ネットで調べたら私以外にも結構見間違えた人がいたので更に不思議。 ていうか可愛いなこの眼鏡。
はい閑話休題。
ここ最近も「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」でそれと知って声上げちゃうくらいの端役で出ていて、そのウォーリーぶりに近年ますます磨きがかかる俳優。それが新井浩文。
とにかく「出てたんかい!」度が半端無いので、それと知らず観に行く割合が圧倒的に多いのですが、この度珍しく最初から新井浩文が出ていると知った上で映画を観てきたので書きます。
あらすじ
エリザベス女王の双子の妹を母に持ち、カメハメハ大王の子孫を父に持つ米軍特殊部隊のジェットパイロット、ジョナサン・エリザベス・クヒオと身分を偽り女を騙し続けた男。そんな彼と、騙される女、騙されかける女、騙そうとする女。三者三様の人間模様、クヒオ大佐の行く末はいかに?
最後ちょっとあらすじっぽく〆てみました(照)
どうですか。そうですか。
んでまあ、正直がっつり笑うつもりで行ったんですが、映画本編はさほどコメディタッチという訳でもなく、結構しみじみと人間の愚かさを描き出していまして、まあそこがしみじみと滑稽で笑わせるんですが、なかなか味わい深く観ましたですよ。原作の小説より面白かったかな。私は映画のが好き。
原作の方とは展開も登場人物も全く違うので、実質的にはオリジナルの脚本ですね。
んで、ストーリー云々よりもこの映画で特に優れているのは、キャラ立てとキャスティングじゃないかと思う。
クヒオ役の堺雅人は、軍服を着た時のトホホ感が絶妙。小柄で肩幅もあんまり無いから多分似合ってないんだけど、更に駄目押しであの底が平たくて広い立派な制帽を被るもんだから背がより低く見える。それが良い。不自然に高い鼻は意外と似合って見えるから不思議。つーかあれどうなってんの?付け鼻?
トレードマークのニュートラルな半笑いも良いですねー。
結局この映画の中のクヒオ大佐って人にとって一番重要だったのは、金儲けでも女でもなくて自分が米軍特殊部隊パイロットになりきる事であって、つまりこの人の詐欺ってのは無理やりに自分の行っている軍人さんごっこに女を引っ張り込んで付き合わせるというそんだけのものなのである。そこいくと堺雅人の笑顔は「自分一人で軍人さんごっこにご満悦」なクヒオ像にぴったり合ってました。
幸薄そうな松雪泰子もナイスです。あの人不幸せオーラ出させたら他の女優には引けを取りませんね。影のある美人…三回生まれ変わっても手が届きそうにないフレーズです。
それとやはり満島ひかり!
「愛のむきだし」で観客の度肝を抜いた日本映画界のミューズ・満島ひかりですが今回も良いですよ。エロい!この子若いのにエロい!いや若いからか!?
むきだしでも共演していた安藤さくらとの会話も地味に笑えて良かった。
「ごめんね手伝ってもらっちゃって。何か奢るわ今度」
「今奢れよ」
ていう会話が地味にじわじわ来た。
さて…じゃそろそろ…良いですか…
新井浩文についてですが…
いやー近年稀に見る「全編を通して新井浩文が出てる映画」でした。いつぶり?まあこの映画登場人物少ないからってのもあるんだけど。
んで新井浩文演じるのは、松雪泰子演じる弁当屋の女社長の弟。彼自身あまりたちの良い人間ではなく、時折姉の職場に金をせびりに来る。で、偶然弁当屋の事務所でクヒオ大佐の電話を受け、あっさりとクヒオ大佐が詐欺師である事を見破ると、「姉貴の金は俺の金だから」と言ってクヒオ大佐に今まで姉から巻き上げた金を「俺に返せ」とゆする。
何とゆーか 天才。この役に新井浩文をあてがった人天才。もー超ぴったりですよ。これ以上のキャスティングは無いよ。
英語意外に上手いし。
金をせびりながらも「佃煮ちまちま作って儲けた金じゃなくてよぉ あるだろ何か、もっと簡単な金がよぉ。そっち盗めよ」とクヒオを諭したりするところなんか、「ろくでなしだけど悪人て程でもなく、かといって善人では決してない」というキャラ付けが良く出てて素敵。
でもクヒオから受け取った金(ドル札)が姉から騙し取った金だと気付いていながらそれはあっさり受け取るってゆう。良いねー。
佇まいが特殊なんだと思うんだけど。この人。どうも底の知れない、何かの間違いでヒーローにも殺人鬼にもなっちゃいそうな?まあ基本人相悪いからヒーローにはならんか…ジャイアン殺しちゃいそうなスネオつーか。
得体の知れない、それでいて非常にリアルな存在感を持った人です。
何て言うか、結婚詐欺師クヒオ大佐、を観に行ったにも関わらず、私の意識は完全に新井浩文演じる松雪泰子の弟(役名を覚えていない)に持って行かれてしまった。
良いなあ、あの人。詐欺でも良いから結婚したい。
以上。
え?何ですか?
映画の感想になどそりゃなりませんよ!!
関連エントリ
新井浩文について
→やっぱ良いわ 「青い春」
最近のブームで邦画が大量に発表されている中に「映画自体が面白いか面白くないか、じゃない映画」が多すぎて戸惑うわ。
あらすじ
十人ギリギリの寛政大学陸上部が、キャプテンの決意と彼を信頼する仲間達の努力で見事、夢の箱根に大手をかける!以上!
とはいえ、撮影に先駆けて実際のランナーに劣らないトレーニングを重ねた出演者の人達は凄いと思います。
どのキャストも走りのフォームが綺麗で良かった。説得力のある画でした。
ただ致命的なのがストーリーとしてあまり際立つものが無い点。これはそもそも「駅伝」というスポーツがドラマチック過ぎるのも敗因の一つではないか。
劇中の箱根駅伝で起きた事全部実際に毎年起こってるもんね。
とはいえ今11月だから、あと2か月後には箱根駅伝やるし。お、ちょっと本物見てみるか。なんて人がいたら万々歳じゃないですか。ただ駅伝って凄い長いからやっぱり見てる内に飽きてくるんだけど。
まあ、総合して考えるにあらゆる意味で「ファンのための映画」だったかなと思う。キャストのファンか駅伝のファンか原作者のファンか。ファン以外の人間を引き寄せる力はあまり感じなかったかな。
演技が良かったのはやっぱりハイジを演じる小出恵介。ハイジって人が物凄く良い人、それも観てる側にあまり温度として伝わって来ない良い人の役で(っていうかこの映画全てに言えるんだけど、登場人物がどんな人間なのかとか、この人たちがどんだけ信頼しあってるのかとかがあんまり観客に伝わって来ないんだよ)、めったに怒ったり慌てたりしない懐の広い人間なんだけど、そういう、いわば底の見えない良い人を、いかにも「良い人」顔の小出恵介が演じる事で 逆に物凄い裏の顔を観てる側に想像させるという試みに成功してました。(言いがかり)
私、小出さんはすっげ悪い人の役をやれば良いと思います。一度。
あと原作者が原作者なんで、陸上部の面々を見ながら「あるんだろうなー、原作者公認の公式カップリング」と思ってしまうのは仕方あるまい。とりあえずニコチャン先輩とユキはガチだな。
でもこの映画を観る限り、男だけのコミュニティ内に生まれるかっこよさ、心地よさはあんまり上手に演出できていなかったように思う。かといって、女が夢一杯に描いた男の世界特有のべたべたした感じも無かった。まあちょっと台詞がべたついていた気はするが。何て言うんだろうか、男の世界にも(限られた)女の世界にも振り切っていない、不思議なバランス感覚。洋食屋の娘が分かりやすく女モブとして描かれていたのには笑ったけど。「すごい、この人たち…」とか「私は、アオタケ(注:陸上部専用の寮)には入れそうもないから…」とか物凄いわざとらしい台詞を言わされていて不憫でした。またそんな台詞を吐かざるを得ない程男達の団結が凄い事になってるのかというとそうでもない。割かしニュートラル。
まあ駅伝ってこんなもんだよ。というお話って理解で良いんだと思います。さほど鼻につく事も無く、淡々と観れたかな。
ただちょっと長いね!
あらすじ
十人ギリギリの寛政大学陸上部が、キャプテンの決意と彼を信頼する仲間達の努力で見事、夢の箱根に大手をかける!以上!
とはいえ、撮影に先駆けて実際のランナーに劣らないトレーニングを重ねた出演者の人達は凄いと思います。
どのキャストも走りのフォームが綺麗で良かった。説得力のある画でした。
ただ致命的なのがストーリーとしてあまり際立つものが無い点。これはそもそも「駅伝」というスポーツがドラマチック過ぎるのも敗因の一つではないか。
劇中の箱根駅伝で起きた事全部実際に毎年起こってるもんね。
とはいえ今11月だから、あと2か月後には箱根駅伝やるし。お、ちょっと本物見てみるか。なんて人がいたら万々歳じゃないですか。ただ駅伝って凄い長いからやっぱり見てる内に飽きてくるんだけど。
まあ、総合して考えるにあらゆる意味で「ファンのための映画」だったかなと思う。キャストのファンか駅伝のファンか原作者のファンか。ファン以外の人間を引き寄せる力はあまり感じなかったかな。
演技が良かったのはやっぱりハイジを演じる小出恵介。ハイジって人が物凄く良い人、それも観てる側にあまり温度として伝わって来ない良い人の役で(っていうかこの映画全てに言えるんだけど、登場人物がどんな人間なのかとか、この人たちがどんだけ信頼しあってるのかとかがあんまり観客に伝わって来ないんだよ)、めったに怒ったり慌てたりしない懐の広い人間なんだけど、そういう、いわば底の見えない良い人を、いかにも「良い人」顔の小出恵介が演じる事で 逆に物凄い裏の顔を観てる側に想像させるという試みに成功してました。(言いがかり)
私、小出さんはすっげ悪い人の役をやれば良いと思います。一度。
あと原作者が原作者なんで、陸上部の面々を見ながら「あるんだろうなー、原作者公認の公式カップリング」と思ってしまうのは仕方あるまい。とりあえずニコチャン先輩とユキはガチだな。
でもこの映画を観る限り、男だけのコミュニティ内に生まれるかっこよさ、心地よさはあんまり上手に演出できていなかったように思う。かといって、女が夢一杯に描いた男の世界特有のべたべたした感じも無かった。まあちょっと台詞がべたついていた気はするが。何て言うんだろうか、男の世界にも(限られた)女の世界にも振り切っていない、不思議なバランス感覚。洋食屋の娘が分かりやすく女モブとして描かれていたのには笑ったけど。「すごい、この人たち…」とか「私は、アオタケ(注:陸上部専用の寮)には入れそうもないから…」とか物凄いわざとらしい台詞を言わされていて不憫でした。またそんな台詞を吐かざるを得ない程男達の団結が凄い事になってるのかというとそうでもない。割かしニュートラル。
まあ駅伝ってこんなもんだよ。というお話って理解で良いんだと思います。さほど鼻につく事も無く、淡々と観れたかな。
ただちょっと長いね!