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くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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怒りますよ。久々に。



そもそも私はこの原作が好きじゃないんですよ。この題名の上手い事言ってやった感もさることながら(うまくねえし)もうはっきり言ってつくしって女が嫌いなんですよ。最初は花沢類が好きだった癖にいつのまにか何事も無かったかのように道明寺に鞍がえしてるし。そこに何らの葛藤も無いし。ももちゃん(ピーチガール)見習えや!

つってもまあ、漫画なんて気に入らなきゃ読まない。で終わるんでそれは良いよ。
でもこれが映画となるとさあ…
ほんでから小栗さんが出てるとなるとさあ…


んで私今からタブーをおかします。
この映画を、途中(つーか終盤)から観た状態で、きちんと通して観ていない状態でケチをつけます。
タブーでしょ?タブーなんですよ。ひっそりと自分自身に課してたんですよ実は。
でもおかしちゃうので今から。
だからこんなのは映画の批評としては真に受けなくて良いです。
ていうか映画に関しての問題じゃありません。
思想の問題です。



あのね。
私が観たのは無人島で生活する事を余儀なくされた道明寺とつくし つー場面からでね。
もうそっからして噴飯もので、つくしが熊をパンチで撃退したり、かと思えば二人が仲良くおいかけっこしてたり(熊が出るぞ熊が)で、まあそれはおいとくとして、何でそんな事になったかは良く知らんですが、結果的にそれは彼らの愛を試す、試練だったんですと。ある人達(一応ネタバレに配慮)が、本当に彼らが運命の二人なのか。
このまま彼らが結婚して、本当に上手くやって行けるのかを、愛の強さを試す為に仕組んだ試練だったんですと。



あのさ。
運命って誰が決めんの?
決まってるとして、それが分からんから、人間の手に負えないから運命なんじゃないの?
無人島で上手くやれたから運命なの?
別れたらその時点で運命の人じゃなくなるの?
運命の人となら絶対一生幸せなの?
つーか絶対別れない人としか結婚しちゃいけないの?
良いじゃん駄目になっても。
その人と一緒になりたいって思えたならそんだけで良いじゃん。
ていうか仕方ないじゃん結婚したいんなら。
そういうのひっくるめて人生であってそんな事は本人達が決めるしかない訳で。

軽い。
軽いんだよお前らが口にする運命やら愛やらがいちいちさあ!


この映画が子供向けなのか大人向けなのかは知りませんが、若い子らが観るならなおさら、愛があれば何でも乗り越えられる訳じゃないし、別れるという形でしか成立しない出会いもあるんだよ。という、そういう人生の割りきれないところを語るようなもんを作りなさいよ!と観ていて恐らく誰にも賛同してもらえない叫びを上げたくなったのでした。
いやほんと、何よ愛って。つーか熊がいる無人島って…そんな無人島で若い男女に生活を強いる大人って…殺人罪では?

んで目当ての小栗さんは殆んど出ないし出たと思ったらヨン様みたいな髪型だし…


もう疲れた。疲れました。誰か私に機械の心を下さい。そんで何事にも苛々しない平穏な人生を送るの。
うふふ。


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ヒースジョーカーには無い、やけに生々しい怖さがニコルソンジョーカーにはありました。ジャックニコルソンって素で勘弁、みたいな人を演じるのが上手いね。シャイニングとか。


思えば去年のイブは会社休んで「レッドクリフ part1」を観ました。まあ寝たんだけど。
一昨年は確か「ラブ・アクチュアリー」を観たんだったような…うろ覚え。
で、今年は何を観ようかなーと考える暇もなく、あれよあれよの内に23日の夜。
あ、そういえばこないだDVD3枚3000円だった時何か買ったわ。と引っ張り出してきたのがこれでした。
監督はティムバートン。当然ながらゴッサムシティに漂ってしまうものすげーゴス感。
だがそれが良い!ということで!

一応あらすじ

眠らない街ゴッサムシティでは、横行する強盗や犯罪者を捕まえては消える蝙蝠のような姿をした男・バットマンの噂が広まっていた。
その日もバットマンはマフィアが現金強奪の為に現れたところを捕獲しようとしたが、現れたマフィアのジャックは闘いの最中硫酸の中に落ちてしまう。

敵とは言え、人を助けられなかった事を悔やむバットマン。
しかし死んだと思われていたジャックは、皮膚は漂白され、神経も完全に麻痺した状態で蘇る。常にきちがいじみた笑顔を浮かべた真っ白い顔をトレードマークに彼は「ジョーカー」と名乗り、ゴッサムシティを混乱のるつぼに叩き落とす準備を始めるのだった。


実は今まで、世間的には「本家」であるところのバットマンシリーズを全く観た事がなかった。
だから私にとってバットマンはマイケルキートンではなくクリスチャンベールだったし、ジョーカーはジャックニコルソンじゃなくてヒースレジャーだった。で、とにかくヒースジョーカーが私は大好きなので。好きっていうかもう信じてる感じなので。言ってみれば私にとってニコルソンジョーカーは、まあ下手したら偽物って感じだったんですよ。
でもこれしょーがないでしょ。出会う順番の問題だしさ。


でもまあ、観たいか観たくないかっつわれたら観たい。ティムバートンだし。みんなが面白いって言うし。あと2つのジョーカーを比べてみたかったし。
つーことで買ったんですが。


感想としては、いやいや!面白かった!
ゴッサムシティのおどろおどろしさとか、バットマンの武器や車に滲み出るジャンクっぽさがいかにもコミックリスペクト!って感じで良いですね。多分原作バットマンファンはノーラン版よりこっちのがしっくり来ると思う。


んでね。


「ダークナイト」大ヒットの折、そらもう猫も杓子もダークナイト大好き大好きな雰囲気の中、かつての映画版ファンや原作ファンからの「野暮な事すんじゃねえ」と言いたげな意見を時々耳にする事があって。
いや本当にそう思ってるかは知りませんよ。ただリアリティーを追求する事によりアメコミ原作の映画としてだけでなく、本格クライムサスペンスとしての価値を獲得した稀有な作品という評価を鼻白んだ様子で肯定するというか、「リアルなら良いのか?」という点で引っ掛かっているような、そんな印象を与える批評がいくつかあったわけです。

でまあ私はもちろん「何言ってんの」って思ってた訳です。
オリジナルファンはこれだから。みたいな。良いじゃん面白いんだから。みたいな。


でも今回こっちを観て、あの人達が言わんとしていた事が分かった気がした。

確かに、それだけで魅力的な完成された虚構の世界にリアリティーを挿入するのは野暮と映るかもしれない。その虚構を愛する者からすればなおのこと。

それを、虚構の世界とリアルな世界を横に並べ、こちらの方がリアルだから上等だ。と判じられたらたまったもんじゃないだろう。

何度か目にした「これ(ダークナイト)なら別にバットマンじゃなくても良いじゃん」という言葉の意味が漸く分かった。

確かに、バットマンを題材にせずとも「ダークナイト」は出来たかもしれない。まあでもそれは別にあの映画に限った話ではないし、バットマンを題材にしてリアリティーの追求に重点を置いた「ダークナイト」という映画が出来ましたよ。で何か問題あるの?という話でもある。バットマンじゃなくても良いなら、別にバットマンでも良いじゃん。というか。


まあ結果的に両方楽しかったので、私としては観て良かったって事で結論です。何よりジャックニコルソンのジョーカーが凄い!
生い立ちのエピソードも効いてますね。キリング・ジョークを思い出してちょっとしんみりした。

ほんでこの後にダークナイト観たら完璧。
イブの夜にオススメコンボ!!


関連カテゴリ


私にとっての黄金体験
→まだちょっと迷ってんだけど 「ダークナイト」





超久しぶりに「ギルバート・グレイプ」を観た。
いやあ…何て言いますか…


例えばジョニデ=スパロウとか。デカプリオ=タイタニックとか。そういう人はいて当然だけど、でもそんな彼らにはこんな作品もあるよ!と伝えたいのがこの映画。

ジュード・ロウの「ガタカ」なんかもそうだけど、「この俳優といえばこれ!」という作品がある役者は幸せだと思います。
まあ佳作がありすぎて絞り込めない!というのもそれはそれで幸せかもしれませんが。


もうとにかくデカプリオが天使。
名演です。
今後彼にあれ以上の役が回って来るだろうか?
今となっては懐かしいジュリエット・ルイスの可愛さも最高潮。
何よりジョニデの、あのよるべのない不安と諦念を称えた眼差しが!ああ…


外から見たらハンデだらけの破綻した家族に見えるのに、内側は意外と仲の良い普通の家族。でも家族間の仲の良さには常に多少の諦めが付きまとう。この家族も例外ではない。
夫の自殺に対するショックでものを食べ続け、7年前から一歩も外に出ていない肥満の母を、難病を患い成長することをやめてしまった17歳の弟を、兄妹たちはほんの少しの諦観を愛でくるんで世話をする。

しかし子どもたちはいずれ家族という繋がりを断ち切り、世界へと出て行かなくてはならない。この物語は、主人公が「家」という呪縛から解き放たれるまでのお話。

結局、自分で足を踏み出さなければ解き放たれる時は来ないのだ。
という事ですよ。
それに何があろうが家族は家族だし。

断ち切れないのは「絆」だけ。
そんなお話です。
これをおすすめしないで何をおすすめするんだってぐらいおすすめったらおすすめ!


 完成披露試写会で主演の渡辺謙が「この映画撮るのがものすげー大変だったんだよう」と泣いた事で「そうかそんなに凄い映画なのか!」というベクトルではなく「よっぽどJALがえげつない嫌がらせをしたのであろうなあ」という印象だけを強く観客に持たせる事に成功した意欲作(偏見です)。

原作は毎回毎回映像化される度に「実在の企業や出来事とは一切関係ありません」と画面にでかく文字を出す癖に事件名や企業名が笑っちゃうくらいそのまんまなあまり、「お前隠す気ねーだろ」でお馴染みの山崎豊子。
本作品では航空会社の社員で、労働組合の会長をしていた事で役員から目をつけられ、僻地に飛ばされまくった挙げ句帰国するなり起きた御巣鷹山ジャンボ機墜落事故の遺族世話係を押し付けられた男の半生を描いている。
まあ昨今世に溢れている「なんちゃって社会派」に比べればしっかり骨太な作りだし、時代考証にも隙がなくて良いと思います。
ただこの主人公である恩地という人物が少々アクが無さ過ぎる。つーか良い人過ぎる。

ていうか、どっちかと言うと恩地をあからさまに目の敵にしながら、自分はあくまでも出世だけを見据えてのしあがって行く行天の方がキャラとして興味深い。
まあそんな感じの決して悪くない映画だと思うんですが、いかんせん出演者が豪華過ぎて、そちらにばかり目が行ってしまうという欠点が。

墜落する飛行機のパイロットに小日向文世、管制官に長谷川初範、乗客の一人に東幹久。政治家には小野武彦、柴俊夫、総理大臣に加藤剛(!)。余談ですが加藤剛が物凄く痩せていて暫く誰だか分からなかった。ご病気でもされているのかしらと、思わず心配になりました。

個人的に先日胃ガンで亡くなった山田辰夫(この作品が遺作だそうで)と小林捻持が全く違うシーンではありますが出演していて、おお狂い咲きサンダーロードコンビ…としみじみしました。個人的に好きな映画ではありませんが、やはり何かにつけ思い出す作品である事は確かです。

あと本当にちらっと上川隆也が出ていて「白い巨塔」つながりの強さを感じたり、恩地の息子が物凄く久しぶりの柏原崇だったり、松雪泰子と木村多江という薄幸美人対決最終決戦のカードが人知れず組まれていたりして、豪華でありながら何処か地味な、味のあるキャスティングが面白く、その面白さにストーリーが負けてしまっているという、良いんだか悪いんだか分かんない感想に終始いたしました。


とはいえ、こういう力強い、何かと障害も多いであろう作品の牙を削ぐ事無く完成させるには、観る側の想像も及ばない苦労もあっただろうし、その事に関しては冒頭で触れた渡辺謙号泣の意味を決して邪推するつもりはありません。
やや長いのが難点ではありますが、エンドロールの最後に出てきた「この作品が、何らかの形で航空機の安全・安心を促進するものとなる事を祈る」は割と泣かせますね。
今時珍しい日本映画の力作です。まあまあオススメ。


以前にも書いたけど、韓国映画には日本映画やハリウッド映画に無いパワーを感じる。

それは感覚で言えば「痛み」に近い。

じくじくと疼く腫れもののような。血と膿をはらんだにきびのような。
非常にリアルな、隣人のような痛みである。

それと比較して言えば、例えばハリウッド映画(とひとくくりにするのも何か違うんだけど)が観客に与える痛みはマフィアにナイフで刺されるような、ボクサーにアッパー食らうような、レスラーにバックドロップ決められるような、そんな痛みである。音にするなら「バチーン」て感じの、明確でドラマチックな痛み。


でもそれらの痛みはある程度、我々の生活からはかけはなれているとも言える。私達はマフィアに刺されたり、ボクサーにアッパーかまされたり、レスラーにバックドロップ決められたりは、あまりしない。
まあ、だからこそそれらの物語が映画になるんだけど。

そんなこんなで「母なる証明」観て来た。
以下あらすじのようなもの

子供のまま大人になったような青年、トジュン。そんな彼を溺愛する母。二人きりの家族は、貧しいながらも平穏に暮らしていたが、女子高生殺人事件の犯人としてトジュンが逮捕された事で生活は一変する。母は息子を救うために真犯人を探し始めるが…


この映画を観た後偶然監督とキャストのインタビューを見る機会があって初めて気付いたんだけど、この映画の主人公には名前が無い。
主人公というのはつまり殺人容疑で逮捕された息子トジュンを救うため真犯人を自分の手で探しだそうと奔走する母親なんだけど、劇中で誰一人として彼女の名前を呼ばない。
言われてみればそうだった。観ている時は全く気付かなかった。おお恥ずかしい。


彼女に名前を付けなかったのは、母であるという事以外の意味付けを削ぎ落とす為だ、と監督は語っていた。


要するにこの映画の主人公は、誰かの母ではなく、母という存在の象徴として描かれていて、彼女はトジュンの母でありながら、同時に観客一人一人の母でもあるのだ。
で、我々はもう逃れようの無い、狂おしいまでの「母の愛」をまざまざと見せ付けられる訳である。


物語として、決して腑に落ちる話ではない。というか恐らく監督は意図的に物語る事を放棄している。何故なら物語にはオチがあって、それによって物語は終わるからだ。


しかし母の愛に終わりはないのである。
いくら注いでも枯れはしないのである。
それこそが、この映画が紛れもない悲劇である事の根本的な原因なのだ。


主演のキム・ヘジャは「韓国の母」と呼ばれる程の国民的女優であるという。
日本で言えば、市原悦子みたいなもんだろうか。違うか。吉永小百合か。もっと違うか。

そういう、いわゆる「母」という極めて健全なパブリックイメージを有している女優が、ああいう母親、なんと言ったら良いか、つまり「怖い母」を演じるというのは、想像するだに結構ショッキングなのではないかと思う。さらにその衝撃は決して衝撃のための衝撃ではなく、いわば母の愛という揺ぎ無い感情が存在する以上、決して否定は出来ないもの。下手したらそれは当然の帰結とさえ言えるのではないかと観客に思わせるほどの真っ当なエンディング、が与える衝撃。なのである。

その先にあるのが幸せであろうとなかろうと、注がずにいられない愛がある。しかし幸せに通じない愛は、呪いにさえ似てはいないだろうか。


観終わった後、考えずにいられない傑作。物凄くオススメ。


この後勢いで「殺人の追憶」も観たのでなんか書くかもしれない。
でもその前に「グエムル―漢江の怪物」も観たいんだよなー。


関連エントリ

殺人の追憶は未レビュー。
化け物は化け物 「グエムル 漢江の怪物」

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