くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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興味の持続
脱構築
スクリプトドクター
テーマの矮小化
ウェルメイド
この内の3つ、いや2つが映画批評に出てきたらそいつはシネマハスラー信者。
別にシネマハスラーが駄目なわけじゃなくて偏見の受け売りと他人の言葉で映画を評する人間が嫌いってだけです。
「冷たい雨に撃て約束の銃弾を」感想書いてます。
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サボっておりました。フヒヒwwwwww
ま、映画観てるこた観てるんですけどねー。
昨日・今日は雨だったので映画館に行くのが億劫で、
同僚に借りた映画を家で観てました。
昨日は「バトル・ロワイヤル」(何故今さら)
今日は「X-MEN」(何故そのチョイス)
うーん!
「バトル・ロワイヤル」は学生たちの演技に少しむずがゆい箇所があるものの
あのキワモノ的内容にもよらず何と言うかそこはかとなく「映画…」という趣があり
やはり昔の日本映画には今に無い勢いがあるなあ。との思いを新たにいたしましたよ。
安藤政信がとてもよろしい。
塚本高史のキャラも漫画っぽいことは漫画っぽいが悪くない。
高岡蒼甫はどうかなー、ちょっとあの好きな子に対しての気持ちがよー分からんかったかなー。
関係ないんですが偶然今日本屋で立ち読みした「CUT」に載っていた
「映画ベスト500」(しかしこういうの誰が決めるんだ)に「バトル・ロワイヤル」が入っていて
おおタイムリー。と驚きました。
ちなみにベスト1は「ゴッド・ファーザー」でした。
ベタだ。ベタ過ぎる。
X-MENは真面目に観ているつもりだったのに最終的に何がどーなったのかよく分からなかったので感想は控えておきます。
ヒュージャックマンのもみあげに気を取られたとしか思えない。
(そんな)
北野武監督の最新作 「アウトレイジ」。6月12日封切りだそうです。
北野ファンてわけでもないんですが(でも「この夏いちばん静かな海」は好き)、今回は純粋にキャストが。
塚本高史のいかにもなホストチンピラとか、加瀬亮のインテリヤクザっぽさが予告の時点でギュンギュンでドロドロ。は!や!く!み!た!い!
撃たれて倒れてる誰かの傍らを黒塗りの車がゆっくり通りすぎる(予告の)ラストシーンも痺れますね。
北野映画全般(まあ全部観てる訳じゃないんですが)に漂う「誰も幸せにならなそう」な雰囲気が割と好き。暫く風変わりな作品が続いて、今原点に帰ってきた感じ?ですか?いやすいません「アキレスと亀」も「監督ばんざい」も観てないんですよ…
6月までにせめて予習しておこうと思う北野リスト
その男、凶暴につき
ソナチネ
キッズ・リターン
BROTHER
「HANABI」があんま個人的に来なくて、そんでちょっと距離を置いていたのであった…
今、長年の封印を破る時!
ご無沙汰でーす!ペロッ!
ここんとこ、まーあんまり口にしたくない言葉ではありますが忙しくて映画感想どころじゃござんせんでした。
かといって映画鑑賞どころじゃござんせんかというとそうでもない辺りでさほどではない私の忙しさをニュアンスとして捉えていただければ話が早くて助かりますが。
要するに怠けていた訳です。
「ハートロッカー」もきちんと観た癖に一文字も感想をしたためてはおりません。いかんいかん。
私は観た映画の感想を書く、というのを半ばリハビリのような気分でやっております。
朝起きて会社に行き、仕事をして家に帰り風呂入って寝る。
休みの日は起きてだらだら着替え、映画を観て帰って来て風呂入って寝る。
こんな暮らしをしていたら脳みそが錆び付いて死ぬ。怠惰な私の代わりに、脳細胞だけが次々と。
という事でささやかながら頭を動かす為にとブログなんてもんをやってる訳です。
…はい。
ではそーいうスタンスで今宵も軽口気分の感想を。
レッツトゥゲザー。
あらすじ
19世紀ロンドン。数々の難事件を解決し、既に名探偵の名をほしいままにしていたシャーロック・ホームズとその相棒である医者のジョン・ワトソン。彼らが解決した黒魔術による連続婦女殺人事件の犯人・ブラックウッド卿は処刑直前にホームズを呼び出し、「これから三人が死ぬ。お前は彼らを救えない。そしてこの世界は間もなく終わりを迎えるだろう」と不吉な言葉を告げ、絞首刑に処される。
それとほぼ時を同じくして、ホームズに人探しを依頼しにある女が現れる。彼女こそは、かつてホームズが愛した女、アイリーン・アドラーであった。
その数日後、ブラックウッド卿が生き返り墓場から脱け出したという目撃情報がホームズに届けられ、その事にアイリーンからの依頼が深く関わっている事が分かってくる。やがて黒魔術士の復活はロンドン中を巻き込んだ大事件に発展していくのだった…
世界中のシャーロキアンも大満足!という事で「それは良かった」という気持ちと「満足してるシャーロキアンの殆んどが女なんじゃねーのか」という疑念が半々(そもそも全シャーロキアン人口の内女性の割合が圧倒的に多そうな気はする)。
監督がガイ・リッチーという事もあって(というか要所要所ガイ・リッチー過ぎる気もするんだけど)、映像がスタイリッシュでファッショナブル。あまり洗練されすぎていてちょっと時代が感じられない。寧ろファンタジーっぽかったかも。FF6のような世界観…
常々思う事ですが、昔の世界(特に都市)ってもっと汚かったんじゃないだろうか。景観的な美しさはともかく、衛生面では明らかに今よりも劣ってるわけだし。
んで汚れの表現って難しいんだろうなってのは割と想像もたやすいんだけど、そういうもんの表現が上手い人とそうじゃない人ってのがあると思う。
で、「ロック・ストック・トゥースモーキングバレルズ」とかを観る限りガイ・リッチーは多分上手い方だとは思うんだけど。ただどうしてもスタイリッシュであって、やっぱ現代もしくはファンタジー近代なんですよね…
ちなみに古めかしくて汚いロンドンが得意な監督は多分テリー・ギリアムじゃないかと思います。勘だけど。
で。
映画自体は何て言ったら良いのか、非常にバランスが良いというか綺麗に纏まってるというか、そんな印象の映画でした。シャーロキアンの人達にも好意的に受け入れられたと聞いて、あーそうだろうなと思う感じ。
あまり反感を買わなそう、というか。
ただ非常に映画らしい映画ではあります。魅力的なキャラクター、謎、アクション、爆発、お色気、ギャグ とあらゆる要素がきっちりと詰まっている映画。幕の内弁当みたいな。
取り立てて美味しいって訳でもないけど弁当としては纏まっていて文句つけづらい。的な。あれ…あんま誉めてるように聞こえないな…
ともあれ映画を観たいんだよ!という気持ちには間違いなくある程度応える作品であります。
映画だよ映画!劇場版じゃなくて映画なんだよ!観たいのはよお!
ってあれやこれの予告編見ながら思ってる人にオススメ。
別にそんな事思ってない人にも普通にオススメ。
↑この間口の広さが本作最大の魅力。
いやーやっと見たやっと見た。
怪獣映画としてはかなりの異色だけど、どっから見てもいつも通りのポン・ジュノ映画。怪獣という、いわば映画ジャンル究極の色物(言い過ぎ)に取り組んでもなお自分のカラーを失わないポン・ジュノ恐るべし。
さてあらすじ。
とある手術室で、欧米人の医者と韓国人の助手らしき若者が会話をしている。
医者は棚に並ぶ古い薬の瓶に埃が溜まっているのが許せない。
「直ちに捨てろ。今すぐにだ」
「しかし先生、毒薬を捨てるには特別な処理が」
「水道に流してしまえば良い」
「…そんな事をしたら漢江に毒薬が流れ込んでしまう」
「漢江は広い川だ。きっと許してくれるさ。」
漢江で正体不明の巨大な生物が出現するのはその数日後のことであった。
主人公は娘を化け物に殺された男とその家族である。集団葬の最中に「化け物と接触した者」として病院に強制搬送された先で、父親の携帯に化け物に食い殺された筈の娘から電話がかかってくる。
娘を助ける為に病院から脱走する父親と家族たち。彼らは化け物と接触したことから、人間に害をもたらすウイルスの保菌者として政府から追われるはめになりながらも、娘の居場所=化け物の根城を探して街をさまよい始めるのだった。
もっと早く観ておけば良かった、と思う反面、ポン・ジュノという監督とその作品性にある程度慣れていなかったら単に「妙な映画だな」で終わっていたような気もするので、まあ適当なタイミングだったのかもしれないとも思う。
今まで観なかったのは、ひとえに「怪獣映画」としてひとくくりにしていたからなんだけども、最初の五分でその認識が間違っていたと分かる。
英語で交わされる医者達の会話や、突如現れた化け物の影に餌を投げる人々。集団葬の最中に「車を停めた人、移動させて下さい!」と叫ぶスタッフ、そしてその声に従う遺族。あらゆるピースが虚構の世界におけるいびつなリアルをかたちどる。
中でも私が好きなのは、父親が見る夢の中で前触れなく娘が家に戻ってくるところと、化け物の持つウイルスに感染している脱走者に風邪の症状が見られた、という報道を見ている歩行者たちのシーン。前者には幼く弱いものに対する大人たちのいたわり、愛みたいなものが滲み出ていて、逆に後者には世間に対する悪意があって良かった。笑った。
虚構である以上それはリアルに似て非なるものであり、似て非なるものであるということはどこかの部分に強調がかかっている訳だけども、ポン・ジュノは本質的な人間の愚かさ、滑稽さ、弱さ、あるいは強さが人間の中にある器にゆっくり満ちて行き、やがて溢れ出す瞬間まで。に核を置いて描く向きがある。
「殺人の追憶」では刑事の心にきざした弱さ、「母なる証明」では愚かな母の内に秘めた、ひたむきな愛情からなる狂気を描いていた。
で、この映画でも彼は娘を救うために奔走する父親とその家族を時折極めて愚かしく滑稽に描くんだけど、それが凄くリアル。
悲劇に見舞われた人物が始終暗い顔をして悲しみに沈んでいる風に描かれていたとしたら、それは退屈な映画だと思う。
感情に身を浸しきれないからこそ人間は悲しいのだ。死ぬほど悲しい事があってもお腹は空くし、幸せの絶頂で、その幸せがいつか終わることを恐れ始める人間もいる。
そういう、いわば気持ちと身体、感情と思考の間に生じる隙間をポン・ジュノは極めて喜劇的に描く。
圧倒的な、抗いようのない恐怖とそれに振り回される人々を、独特の毒とユーモアを交えて映像化する。
ポン・ジュノの映画を何本か観て私が思うのは、彼が描くのはあくまで翻弄される人間であり、事件そのものや状況は感情と行動を浮かび上がらせるツールでしかないということだ。
本作においてのそれは、題名になっている怪物である。
そもそも彼は違法に漢江へ垂れ流された劇薬が生んだ怪物であり、言わば人災である。
怪物そのものを描く映画であれば、その出生における悲劇性、人の業などに焦点をあてて、ともすれば環境問題的方向にも引っ張って行こうと思えば行けない事もなさそうな気がするが、この監督は恐らくそんな事には全く興味が無いのだろう。
人々は怪物の生まれた理由や人を襲う目的など全く知らずに殺されて行く。その内に限られた何人かの人間が、唐突に訪れた恐怖に理由をつけようとする。
何故なら恐怖は常に理由が分からないからこその恐怖なのであって、理由があればたちまち人々の恐怖は減ずるからだ。
人は皆、恐怖の前には愚かである。
その愚かな人々の思念や行動が絡まり合い、様々な喜劇や悲劇を生んでいく。
時には英雄譚をさえ。(ホームレス超かっけー)
生の感情てんこもり。傑作。見るべし!
オススメ!
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→膿を出すように愛せ 「母なる証明」