くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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忘れていた訳じゃないんだ。
(第一声が言い訳)
時間が経てば経つ程何を言えば良いのか分からなくなるという不思議について、
「それ全然不思議とちゃう、時間が経つにつれ記憶が薄れとるだけや」 と兄ちゃんからもっともな指摘をされて目が覚めた節子(27)。 そうか!みたいな。
んでねー。
この映画取り上げるとなると必然的に原作の漫画に触れざるを得ないんですよ。そこが、この映画の感想に手間がかかる原因なんですよ。映画だけについてなら「いまいち」の一言で終わるんだから(あっ)。
まあ、今さらこうの史代の「夕凪の街 桜の国」という名作について何やかや言うのも気が退けるのであらすじとかは省きます。この作品をご存知無い方は深く反省した後に本屋へ走って下さい。
これは間違いなく、現代を生きる我々が読んでおくべき名作ですから。
買うなら文庫版が手軽でおすすめ。
で。決して映像化に向いてない漫画ではないと思う。絵柄も素朴だし、アクロバティックな展開(?)も無い。
ただ非常に淡々と進む物語なだけに、そのまま映像化したらただの地味な映画、になってしまう恐れはあるかもしれないが。まあそんくらい。
寧ろ原作の奥行きのない背景は、実写化することで一気に説得力を獲得するかもしれない。
展開は見事に原作通りで、まず最初に終戦から10年後の広島が舞台の「夕凪の街」編、それが終わってから現代の東京が舞台の「桜の国」編と続く。
個人的にはこの2つを混ぜて、異なる時間軸をクロスオーバーさせたりするのも楽しそうだけど。と思ったりもするが、まあこれは別にどっちでも良い。
「夕凪の街」の主人公・皆実は麻生久美子。ビジュアル的に悪くない感じ。あのおっとり感が似てるかも。恋人の打越豊役は吉沢悠。これもなかなか良かった。
ただねー。
この原作を映像化する上で絶対外しちゃいけないのが、あのあまりにも唐突に残酷に訪れる死だと思うんですよね。
あの死は、主人公に死を受け入れる時間を与えてくれちゃ駄目だと思う。
主人公は、「10年経った今でもわけがわからない」ものに、好きな人が出来て、その人が自分の負い目(たくさんの人を見殺しにして生き延びたこと)を聞いてくれて、受け止めてくれて、そんで漸く前向きに生きていこうと思えた途端に殺されたのであって、だからこそあの、死に際のモノローグが意味を持つのではないか。
なぁ、嬉しい?
10年も経ったけど、原爆を落とした人は私を見て
『やったぁ!また一人殺せた!』
って ちゃんと思うてくれちょる?
それは、自分に訪れたあまりにも不条理な死に、誰かの意思を、理由を、必然性を欲する主人公の叫びではないか。
何故自分が、終戦から10年経った今死んで行かなければならないのか、どうせ死ぬなら何故あの日ではなかったのか、という問いに答える声を欲したからこその言葉ではないか。
その問いに与えられる答えが、世界中の何処にも無い事こそが原爆という世界最悪の兵器がもたらした最大の悲劇なのではないか。
映画版の皆実は、少なくとも原作よりは心安らかに死を迎えているように見える。
家の裏にある野原で、木にもたれて弟・旭と打越のキャッチボールを眺めながら死んでいく。
原作ではかなり壮絶な死が、あまりにも淡々と描かれる凄味があるのだが、私はそれこそをしっかり映像化すべきだったんじゃないかと思う。
何故なら、これは救われる余地のある物語であってはならないからである。
だからこそ物語はおよそ50年後に舞台を移し、続かなければならなかったのだ。
第二部「桜の国」こそが、皆実の壮絶な、不条理な、無意味な死に対する唯一の答えなのである。
まさかの続く!
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