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「赤とバカ」とか書いてる時は実はあれで小説やら漫画やらウィキやらと首っ引きでヒイヒイ言いながらの作業だったので今回は全てを振り切り脳味噌と指のみで書き綴ってみようと思う。
ヒイヒイ言ってもあの程度なので鼻ほじりながらじゃあもっとアレな感じになるだろうと容易に想像はつくけれどもちょっと今日は疲れてもう早く寝たいよ。みたいな状況なのでこんなかっこで失礼します。つか疲れてんなら書かなくても。とまっさきに思ったのは私自身なのでもう放っておいてください。放っておいた上で割と暇なら読んでくれ。そうだろう。そういうもんだろう。
あすなひろしとは |
あすなひろしは私にとって謎の人だ。生涯で出版されている単行本は、複数の出版社から出ている同一のタイトルを除いて19冊。そのうち、本屋で購入できる単行本は一冊も無い状態だったが、ここ数年のエンターブレインによる大プッシュのおかげで、代表作「青い空を、白い雲がかけてった」と、短編集「いつも春のよう」あたりは読めるようになった。さらに先月、来月と続いて文庫版も出版される。私のような遅れてきた読者には本当にありがたい。
しかし作品リストを見てみるとびっくりだ。1960年から1989年の間の約30年間で、間違いなく350作品は描いてる。発表場所もまちまちだ。少女漫画少年漫画青年漫画に限らず、明星などのアイドル雑誌や・・・COMなんて個性派どころでも描いている。どう考えても19冊におさまる作品数ではない。
つまり、発表作の殆どが単行本化されていないらしいのである。こんな事があったのか、と仰天した。雑誌に載った漫画は、全てどれくらい時間がかかってもまあ原則的には単行本に収まり、出版されるものなのだとばかり思い込んでいたのだ。
かといって、じゃあよっぽど人気が無かったのか、というとネット上の声を聞く限りどうやらそうでもないらしい。オンラインには、著者が亡くなって7年が経った今でも熱烈なラブコールが溢れている。
その夭折を悼み名残りを惜しむ詠み人知らずの呟きを追いつ拾いつしているうちに、私の中でこの作家に対する興味がどんどん膨らんでいった。いったい、これほどまでに読者に愛されている漫画家の作品とはどんなものだろう。あるサイトで私は同業者から寄せられた弔辞を読む。故人と深い交流のあった、みなもと太郎氏の文であった。漫画家を志していた18歳のみなもと少年が、あすなひろしの仕事場をファンとして訪れた時のエピソードが書かれていた。
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――これを読んで私は、あすなひろしの描いたものなら、手に入るものなら全て手に入れて読もうと決めたのである。