くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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最近お風呂で庄司薫の第61回芥川賞受賞作品「赤頭巾ちゃん気をつけて」を読んでいる。
読み始めてすぐ奇妙な感覚に襲われ、うーんこれは何かしら、はるか昔に既に出会っていたような、いやそちらはどちらかというと幻というか劣化版というか、そういったものに先に出会うと後々に本家本元さんにお会いした時ああこっちなんだわ。と思うと同時にいろんなことに合点がいくというか何というか
と考えて気がついた。私は以前、この小説にものすごーく影響を受けた結果生まれた小説を読んだことがあるのだ。
何を隠そうその小説とは、これだ。
まあ、山田詠美の名誉のために(って、そんな大層なもん書いてるわけでもないのにこの大仰な物言いはちょっとくちはぼったいのだが)言っておくけども別に具体的な何かをパクったとか剽窃したとかそういうもんではなくてただ文章を読めば分かるというだけである。
しかしこれらの共通点というか似通った空気は10代男子の口語体という点だけではなく(良く「赤頭巾ちゃん」(これ、めんどうくさいので以下「赤」と略す)は「ライ麦畑でつかまえて」に影響を受けていると言われるが、空気感では「僕は勉強ができない」(これ、めんどうくさいので以下「バカ」と略す)の方に近いと思われる)割と本質的なものという感じがするので、両作品を読んだ人なら大抵はその類似性に気付くんじゃないかと思う。
主人公のスペックから言えば、「赤」の薫くんは日比谷高校に通う東大志望受験生で「バカ」の秀美は大学進学もまともに考えてない色男だし、そういう意味では対極にあるんだが、性格とか口調とか対人的態度とか、そういったいわゆる「人となり」は寧ろ似通っているような気もするのである。「バカ」の方読んだのはかなり昔のことなのでもううろ覚えだけど、秀美は結構垢抜けたサッカー部で女にモテるリア充にしてはやけにおしとやかというか、サブカルをこよなく愛する文系男子といった趣の人となりなのだ。私はこの「バカ」を割りと面白く読んで、それ以降ちょっと山田詠美にハマったりしたのだけども、それでも秀美の存在的リアリティには首をかしげざるを得ず、いやそりゃ小説なんだからいかにへんてこな人間が出てきたって良いんだけども、何というか「こういう人がモテてたのって、遥か昔のことだと思っていたわ」と小娘(この小説が出たのは1996年だそうなので、出てすぐ読んだとすると私は15歳であったはずである)ながら思ったものである。疑問を感じながらも、「きっとこういう男の子が書いてる人の好みなんだろうなあ」と納得していたし、今もそうなんじゃないかなと思っている。というか、「赤」の薫くんに山田詠美はほんのりと恋をしていたのでは、と思うんだなあ。何だ恋って。キモいな私。(わはは)
ところで「赤」を読んでいると こんな一節にぶつかった。
「ぼくは、フラリと立ちあがって母を探しに出かけた。(中略)母は庭で、熊手を粋にかついだ年とった植木屋と肩を並べて、梅の木を眺めて何かしゃべっていた。ぼくはGパンのおしりに手をつっこんでしばらく見ていたけれど、結局邪魔するのはあきらめた。」
ここを読んだ瞬間、私の頭の中で湧き上がるイメージがあった。「Gパンのおしり」という表記が、その時代性と響きとニュアンスと匂いと色彩が、瞬間的に私の記憶から選択し突きつけた静止画。それはこんな絵であった。
つづく。
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