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書いたり画像取り込んだりもめんどくさくなるのでここぞとばかりにやりますよ。
下のサルベージエントリとかも地味に文章変わったり画像挟んだりしてますのであっちでもう読んだよって方もそうおっしゃらず見てやって下さいよ。えへらえへら。
そんで今日も漫画のことなんですけどね
おとといから猿のように読み返しているからくりサーカス。
まあ大体12巻くらいから最終巻まで壮絶な展開ぶっ続けのHP消耗激しい漫画ではあるんですが、大詰め「デウス エクス マキナ編」ではそれまでに輪をかけて大層なことになります。描いてる人の暗黒面もろだし。
で、その大詰めが始まる手前に こんなページが挟まるのです。クリックすると大きくなります。
(道化師独白)
―お客様、我らはこれより……暗黒の番組を演じる所存でございます。
ただし、それを御覧になる方には覚悟が必要。
激しく、恐ろしき番組は皆様の心を奪い、果ては粉々にしてしまうやも知れません。
それが怖いと思われるなら、皆様、15秒さしあげます。
どうぞ、退場なさってくださいまし。
(道化師 無言で時計を見つめ 測る)
では――――――
怖ッ。
入り込んで読んでるところにこの演出はかなり来るものがありますよ。
ちなみにこの時点で単行本34巻。全43巻のうちの8割は来てる計算。
ここで退場てー!遅いわ。勧めるならせめてあと20巻前で勧めろちゅー話ですよ。
第一今更恐ろしいって。約22巻くらい前からずっと恐ろしいわ。
ていうか何よりピエロの顔が恐ろしいわ。
まー要するにこれは読者に対する煽りです。これから面白くなるよーーー、という。やめられるもんならやめてみればーーーーー、ていう。しかしそれは同時に自ずからハードルを上げるというか首を絞めるというか、そういったある種自虐的行為、しなくても良いような行為 とも言えるわけで。
ところで上のページを見たら、やっぱり思い出すのはこれでしょう。クリックすると大き以下略
これまで―――うしおととらの行動を見てきた親しき者達に告ぐ。
これより先は見てはならぬ…其は見ずとも良い物語。
見ずとも良い。
見れば心憂い 必ずや後悔する。
これより先は見てはならぬ物語なのだ。
(うしおととら ワイド版16巻より)
ちなみにうしとらワイド版は全18巻なので
この時点で9割行ってます。
これも初めて読んだ時面白すぎて震えた。
こないだ読み返した時はこの引きがかっこよすぎて捩れた。
風呂で。つまり全裸で。まあそれは良い。
この手法には、根底にある自信がにじみ出ている。藤田和日郎という「熱い」イメージを持つ漫画家にしては珍しく、トリックスター的な、どこか人を食った演出家としての顔が垣間見える。
昔、島本和彦と藤田和日郎が「漫画とはどうあるべきか」みたいな議論で(テーマからして熱い)
「漫画なんて、ラーメンが来る間にちょちょっと読んで面白い。その程度のもんだ」的な意味合いの発言をしていた(これかなりうろ覚えなんですけど)。一方でアーティスト、文化人面する漫画家についてかなり厳しい発言をしていたのも覚えている。私はここに、かなりストイックなエンターテイナーの姿勢を見る。逆に言えば、エンターテイナーだからストイックなのである。漫画家が文化人になるのは簡単だ。漫画を描かずTVでコメントしまくれば良い。アーティストになるのは簡単だ。作品数を減らし、1年に1回、大判の画集みたいな単行本を一冊だけ出せば良い。しかし漫画家が漫画家であるためには、エンターテイナーとして娯楽を耐えず提供し続けるためには?面白い漫画を、ただひたすら描くしかないのである。少なくとも藤田和日郎の世界では、そうなのだ。
とっちらかってしまったけど、総合して考えてみるに 藤田和日郎ってかなりアナーキーな人なんじゃないかな。ということである。人情と狂気が同居していて、時折非常に挑戦的。底が見えなくて面白いねって、そんだけの話です。まー藤田漫画が狂ってるなんてほんと今更ですけどね。
それと、付け加えるに 藤田和日郎は自分の漫画が洗練されすぎるのを恐れているようにも見える。現代の漫画家で、絵があれほどに野暮ったいのは稀有だ。画力とは別の意味合いで、古い。あの古さには、何かしらの理由があるような気がする。勘だけど。