くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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リチャード・カーティスの映画を観ると大体いつも、最低一度は泣いてしまう。
「フォー・ウエディングス」はラスト、エンドクレジットで流れるそれぞれの結婚式スナップで。「ブリジットジョーンズの日記」はパパのもとにママが戻って来た次の日、親子で車に乗って彼の家に向かうシーンで。「ラブ・アクチュアリー」では当然ラストの空港で。
で、本作「パイレーツ・ロック」では?というと、まずその前にあらすじでしたな。失敬。
1960年代後半のイギリス。ロック全盛の時代に、政府はポピュラーミュージックのラジオ放送を1日45分までに制限していた。
そんなご時勢、国民の絶大な支持を得ていたのが、船上から放送された「海賊ラジオ」。物語は架空のラジオ局「ラジオ・ロック」を舞台に、個性的なDJ達と共同生活を送る中で彼らとの交流を経て成長していく主人公の姿を描いていく。
な
ーんちゃって、実際本作では主人公の成長、とかはあんまり描かれていない。
寧ろメインなのは異常なまでにキャラ立ちしているDJ陣と60年代ポップスミュージックと、非常に権威的で頭の硬い当時の体制側。
ストーリーは、まあはっきり言って、無い。無いも同然。体制側とラジオ局の戦いも描かれる事は描かれるが、別にどっちかが上手く相手の裏を掻くとかそーゆーのでもない。
最終的にラジオ局が取る行動も、「うん。…いやこちとらずっとそれやれって思ってたよ!」て感じだったし。
最後の最後も「そらそーなるだろーよ!」としか言い様の無い予定調和。
でも何でだろう。ラストで泣いてるんですなあ。
この人(リチャード・カーティス)の作品におけるエンディングは、一言にすると「今まで出てきた人みんなが大集合して大ハッピー!」だ。「フォー・ウエディングス」のラストは結婚式会場、「ラブ・アクチュアリー」のラストは空港の到着口。いずれも無数の人生が絡まり合う場所で、そこで今まで作品に顔を覗かせた登場人物が勢揃いする。
不思議なもんで、主役から脇役までがラストにずらーっと出てくるだけで、何故だか無条件に感動出来るもんなんである。いやそりゃほんとにただ出てくるだけじゃ駄目なんだけど。
で、リチャード・カーティスはそのラストに、いつも非常に整合性のある舞台を持って来る。
直接関係の無い人々が集まって、一心に新郎新婦を祝福する結婚式場や、それぞれの人々がそれぞれの友人や親、恋人、子供を、同じ気持ちで待っている空港の到着口。
それらの場所で、今まで語られて来た複数の人生が、集結するべくして集結する。その心地よさ。
いやもう何つうのか、うんめえ。上手いよね嫌らしいくらいに!
で、本作でもそれは顕在で、やっぱりラストでは愛と幸せに溢れた大集合が見れる訳ですが。
その「ハッピーの理由付け」ってのが毎回あるとするなら、前述の結婚式場と空港の到着ロビーてのはもうそんだけで理由になってんですよね。
それらの舞台てはつまり「見知らぬ人たちが同じ気持ちを抱いて集う場所」であって。
で、本作における「ハッピーの理由付け」ってのが何処にあるのかと考えると、私はそれ「1960年代後半イギリス」という時代にあるんじゃないかと思う。
強い規制を受けていた音楽というものによって生まれる、DJとリスナーの絆をよりしろにした一体感。これには確かに説得力はある。
あるんだけど。
前作の空港ロビーや結婚式場で生まれる一体感って、それこそ観ている誰もが共有出来るものだと思うんですよ。だからこそ観ていて物凄く気持ち良い感動が溢れる。
でも今回のそれは良くも悪くも限定的で、あの時代を知っている人と知らない人、の二種類に観客を二分してしまうという点で明らかに前作と比べて異質なんですよね。
だからこそ前作よりこっちが好き!って人もいれば、いまいち乗りきれない人もいると。
で、私は後者。
あと、この人の映画って、「悪役がいない」ってのが良いとこだと私は思っていて。
いてもどこか憎めない、滑稽な感じで描かれてるところに私は好感を持っていたんだけど、今回はそのものずばり「政府」っていう敵を配置してあり、なおかつその敵によってDJとリスナーの絆が強まってしまっている、いわば一体感を生む為の装置になっているのがちょっと残念でした。
まあ、敵である、弾圧する側の人間を愉快に描いてはいるし、それは十分成功してるとは思うんだけど。
それでも当時全盛だったロックミュージックに対する監督の愛は溢れていたし(選曲ばっちり!)、愛すべきキャラクターも沢山で、非常に魅力的な映画でありました。
その魅力の一端を担うのがキャスト陣。フィリップ・シーモア・ホフマンに、「ラブ・アクチュアリー」でおなじみビル・ナイとエマ・トンプソン。海賊ラジオを弾圧する役人はケネス・ブラナー。そしてとんでもないデブなのに何故かモテモテのフェロモンDJは「ホット・ファズ」でサイモン・ペッグと組んでた映画オタク、ダニーを演じたニック・フロスト!映画観てて気付かなかったぐらい激太り!すっげー!
余談ですがこれ書くために「ホット・ファズ」をウィキで見てビル・ナイも「ホット・ファズ」に出てた事を知った。そういえばあああああの上司あの人だああああ!
要するに、この映画は、「昔イギリスってこーんなんだったんだぜすっげーだろかっこいーだろ!」つう監督の自慢話です。
でもこんな無邪気に自慢されたら、いっそ爽快。「そーだったんだ!良いなあああ」って素直に思えてしまう。そんな気持ち良い映画でした。
音楽好きにもそうでない人にもイギリス好きにもそうでもない人にも
そしてもちろんフィリップ・シーモア・ホフマン好きにも「そんなデブしらねー」って人にも、総じておすすめです!
こんだけサントラが必要な映画もあんま無い。
関連エントリ
しかしこの人ひょっとして痩せたら物凄いセクシーなんでは
→男子映画を見て思う 「ホット・ファズ」
「フォー・ウエディングス」はラスト、エンドクレジットで流れるそれぞれの結婚式スナップで。「ブリジットジョーンズの日記」はパパのもとにママが戻って来た次の日、親子で車に乗って彼の家に向かうシーンで。「ラブ・アクチュアリー」では当然ラストの空港で。
で、本作「パイレーツ・ロック」では?というと、まずその前にあらすじでしたな。失敬。
1960年代後半のイギリス。ロック全盛の時代に、政府はポピュラーミュージックのラジオ放送を1日45分までに制限していた。
そんなご時勢、国民の絶大な支持を得ていたのが、船上から放送された「海賊ラジオ」。物語は架空のラジオ局「ラジオ・ロック」を舞台に、個性的なDJ達と共同生活を送る中で彼らとの交流を経て成長していく主人公の姿を描いていく。
な
ーんちゃって、実際本作では主人公の成長、とかはあんまり描かれていない。
寧ろメインなのは異常なまでにキャラ立ちしているDJ陣と60年代ポップスミュージックと、非常に権威的で頭の硬い当時の体制側。
ストーリーは、まあはっきり言って、無い。無いも同然。体制側とラジオ局の戦いも描かれる事は描かれるが、別にどっちかが上手く相手の裏を掻くとかそーゆーのでもない。
最終的にラジオ局が取る行動も、「うん。…いやこちとらずっとそれやれって思ってたよ!」て感じだったし。
最後の最後も「そらそーなるだろーよ!」としか言い様の無い予定調和。
でも何でだろう。ラストで泣いてるんですなあ。
この人(リチャード・カーティス)の作品におけるエンディングは、一言にすると「今まで出てきた人みんなが大集合して大ハッピー!」だ。「フォー・ウエディングス」のラストは結婚式会場、「ラブ・アクチュアリー」のラストは空港の到着口。いずれも無数の人生が絡まり合う場所で、そこで今まで作品に顔を覗かせた登場人物が勢揃いする。
不思議なもんで、主役から脇役までがラストにずらーっと出てくるだけで、何故だか無条件に感動出来るもんなんである。いやそりゃほんとにただ出てくるだけじゃ駄目なんだけど。
で、リチャード・カーティスはそのラストに、いつも非常に整合性のある舞台を持って来る。
直接関係の無い人々が集まって、一心に新郎新婦を祝福する結婚式場や、それぞれの人々がそれぞれの友人や親、恋人、子供を、同じ気持ちで待っている空港の到着口。
それらの場所で、今まで語られて来た複数の人生が、集結するべくして集結する。その心地よさ。
いやもう何つうのか、うんめえ。上手いよね嫌らしいくらいに!
で、本作でもそれは顕在で、やっぱりラストでは愛と幸せに溢れた大集合が見れる訳ですが。
その「ハッピーの理由付け」ってのが毎回あるとするなら、前述の結婚式場と空港の到着ロビーてのはもうそんだけで理由になってんですよね。
それらの舞台てはつまり「見知らぬ人たちが同じ気持ちを抱いて集う場所」であって。
で、本作における「ハッピーの理由付け」ってのが何処にあるのかと考えると、私はそれ「1960年代後半イギリス」という時代にあるんじゃないかと思う。
強い規制を受けていた音楽というものによって生まれる、DJとリスナーの絆をよりしろにした一体感。これには確かに説得力はある。
あるんだけど。
前作の空港ロビーや結婚式場で生まれる一体感って、それこそ観ている誰もが共有出来るものだと思うんですよ。だからこそ観ていて物凄く気持ち良い感動が溢れる。
でも今回のそれは良くも悪くも限定的で、あの時代を知っている人と知らない人、の二種類に観客を二分してしまうという点で明らかに前作と比べて異質なんですよね。
だからこそ前作よりこっちが好き!って人もいれば、いまいち乗りきれない人もいると。
で、私は後者。
あと、この人の映画って、「悪役がいない」ってのが良いとこだと私は思っていて。
いてもどこか憎めない、滑稽な感じで描かれてるところに私は好感を持っていたんだけど、今回はそのものずばり「政府」っていう敵を配置してあり、なおかつその敵によってDJとリスナーの絆が強まってしまっている、いわば一体感を生む為の装置になっているのがちょっと残念でした。
まあ、敵である、弾圧する側の人間を愉快に描いてはいるし、それは十分成功してるとは思うんだけど。
それでも当時全盛だったロックミュージックに対する監督の愛は溢れていたし(選曲ばっちり!)、愛すべきキャラクターも沢山で、非常に魅力的な映画でありました。
その魅力の一端を担うのがキャスト陣。フィリップ・シーモア・ホフマンに、「ラブ・アクチュアリー」でおなじみビル・ナイとエマ・トンプソン。海賊ラジオを弾圧する役人はケネス・ブラナー。そしてとんでもないデブなのに何故かモテモテのフェロモンDJは「ホット・ファズ」でサイモン・ペッグと組んでた映画オタク、ダニーを演じたニック・フロスト!映画観てて気付かなかったぐらい激太り!すっげー!
余談ですがこれ書くために「ホット・ファズ」をウィキで見てビル・ナイも「ホット・ファズ」に出てた事を知った。そういえばあああああの上司あの人だああああ!
要するに、この映画は、「昔イギリスってこーんなんだったんだぜすっげーだろかっこいーだろ!」つう監督の自慢話です。
でもこんな無邪気に自慢されたら、いっそ爽快。「そーだったんだ!良いなあああ」って素直に思えてしまう。そんな気持ち良い映画でした。
音楽好きにもそうでない人にもイギリス好きにもそうでもない人にも
そしてもちろんフィリップ・シーモア・ホフマン好きにも「そんなデブしらねー」って人にも、総じておすすめです!
こんだけサントラが必要な映画もあんま無い。
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