くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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いつも観た映画を手帳に書いてるんだけど、先週の金曜日から記入すんの忘れててさっき遅れて書き付けた。んだけど、金曜日に観た映画のうちの一本がどーしても思い出せない。
ツタヤディスカスで届いた二枚を一気に金曜日に観たはずで、もう一本が「転々」なのは間違いないんだけど…まー覚えてないってこたそんな面白くなかったのかな。と思いつつケータイでレンタル履歴を調べたらびっくり。
ああああエド・ウッドだあああああああああ
何で忘れてたんだろう…つまんなくないよ!超面白かったよ!実在した最低の映画監督 エド・ウッドをジョニー・デップが演じたティム・バートンの代表作です。作る映画はどれもこれも最低で、観客はスクリーンにポップコーンを投げまくるばかりか、舞台挨拶に現れた監督および俳優に対しても全く躊躇わずあらゆるものを投げつける始末。
今の世にも勿論「つまらない映画」ってもんは溢れ返っているけど、その大半は大体ビジョンが曖昧だったとか制作者の意図が通らなかったとかクライアントが無茶な要望を出したとか予算が足りなかったとか脚本がまずかったとか役者が悪かったとかそういう、いわば「力及ばず駄作」みたいな理由付けが行われる余地のあるものだけど、エド・ウッドの映画は違う。
彼の中には完璧なビジョンがあるしこだわりもある。スポンサーからのクレームも笑顔とトークでお茶濁して知らんふり。スタッフの仕事にエドも大満足。勿論自分自身の仕事にも自信満々。役者は彼が敬愛してやまないベラ・ルゴシ他、監督自身がスカウトしてきたオールスターだ。
力と愛はみなぎっている。
エドは、彼が面白いと思える映画を全力で作っているしその出来映えにも満足している。何も問題は無いのだ。ただ彼が面白いと思うものが、世間から観てびっくりするほどつまらないってだけ。
さて こうなった場合、ですよ。
要するに、世界中で自分以外の誰も、自分の作るものを必要としてないとしても、人は創作をやめずにいられるだろうか?
創作を続けることが出来るだろうか?
「戦い続けろ。自分の夢を見るんだ。他人の夢を見てどうする?」
劇中である人物が言う台詞である。
この作品はティム・バートンによるエド・ウッドへの、ベラ・ルゴシへのラブレターであり、映画監督としての意思表明であり、ひいては世界中のクリエイターに向けた応援歌なのだ。
ジョニー・デップ扮するエド・ウッドが、終始何とも良い笑顔で映画を撮って撮って撮りまくる。暗礁に乗り上げても、撮影が頓挫しても、何処か楽しそうに、自分を支えてくれるスタッフとともに(またこの人たちがすごい良い人達で、エド・ウッドが何だかんだで人望のある人物なんだということが分かる)何とかかんとか乗り越えていく。
とかく、何かに夢中になっている人間は端から見るとただ頭のおかしい人に見えがちである。実際エド・ウッドは狂人と言いうるかもしれない人物だ。最低映画のために全てを賭して、プライベートを犠牲にして、おまけに女装癖を持っているばかりか、そんな自分を主人公にして脚本を書き、それを恋人に読ませる事でカミングアウトしようとする。
そんな彼と彼の仲間逹に愛想を尽かしたエドの恋人が投げつける最後の言葉―「あんたたち、狂ってる!」―は、決してヒステリックな暴言ではない。ティム・バートンは、観客に彼のマッドっぷりがきちんと伝わるように描いている。
それでもなお、この映画に出てくるエド・ウッドを観客が否定出来ないのは 彼がいかにも楽しそうだから。全身全霊をかけて映画に取り組み、それを心から楽しんでいるからである。
エドは役者の演技を見ながら、その台詞に合わせて口パクをする。時折まるで指揮者のように頷き、恍惚とした顔を見せる。
そんな彼に何を言えるだろう?こちらも笑って見守るくらいしか出来ない。
ティム・バートンのクリーチャーに対する愛(エド・ウッドは常識の尺度で測れば間違いなく化け物だ)が溢れた、良い映画だった。文句なしのオススメ!
ほんと、何で忘れたんだろう…この後に「劇場版天元突破グレンラガン:紅蓮編」(こっちもオススメ)なんて濃いもんを観たせいだろうか。
この映画を観て感動して
ついうっかりエド・ウッドの映画を観てしまい
そのあんまりな完成度に打ちのめされた映画ファンって世界中にあふれかえってんだろうなあ。
ツタヤディスカスで届いた二枚を一気に金曜日に観たはずで、もう一本が「転々」なのは間違いないんだけど…まー覚えてないってこたそんな面白くなかったのかな。と思いつつケータイでレンタル履歴を調べたらびっくり。
ああああエド・ウッドだあああああああああ
何で忘れてたんだろう…つまんなくないよ!超面白かったよ!実在した最低の映画監督 エド・ウッドをジョニー・デップが演じたティム・バートンの代表作です。作る映画はどれもこれも最低で、観客はスクリーンにポップコーンを投げまくるばかりか、舞台挨拶に現れた監督および俳優に対しても全く躊躇わずあらゆるものを投げつける始末。
今の世にも勿論「つまらない映画」ってもんは溢れ返っているけど、その大半は大体ビジョンが曖昧だったとか制作者の意図が通らなかったとかクライアントが無茶な要望を出したとか予算が足りなかったとか脚本がまずかったとか役者が悪かったとかそういう、いわば「力及ばず駄作」みたいな理由付けが行われる余地のあるものだけど、エド・ウッドの映画は違う。
彼の中には完璧なビジョンがあるしこだわりもある。スポンサーからのクレームも笑顔とトークでお茶濁して知らんふり。スタッフの仕事にエドも大満足。勿論自分自身の仕事にも自信満々。役者は彼が敬愛してやまないベラ・ルゴシ他、監督自身がスカウトしてきたオールスターだ。
力と愛はみなぎっている。
エドは、彼が面白いと思える映画を全力で作っているしその出来映えにも満足している。何も問題は無いのだ。ただ彼が面白いと思うものが、世間から観てびっくりするほどつまらないってだけ。
さて こうなった場合、ですよ。
要するに、世界中で自分以外の誰も、自分の作るものを必要としてないとしても、人は創作をやめずにいられるだろうか?
創作を続けることが出来るだろうか?
「戦い続けろ。自分の夢を見るんだ。他人の夢を見てどうする?」
劇中である人物が言う台詞である。
この作品はティム・バートンによるエド・ウッドへの、ベラ・ルゴシへのラブレターであり、映画監督としての意思表明であり、ひいては世界中のクリエイターに向けた応援歌なのだ。
ジョニー・デップ扮するエド・ウッドが、終始何とも良い笑顔で映画を撮って撮って撮りまくる。暗礁に乗り上げても、撮影が頓挫しても、何処か楽しそうに、自分を支えてくれるスタッフとともに(またこの人たちがすごい良い人達で、エド・ウッドが何だかんだで人望のある人物なんだということが分かる)何とかかんとか乗り越えていく。
とかく、何かに夢中になっている人間は端から見るとただ頭のおかしい人に見えがちである。実際エド・ウッドは狂人と言いうるかもしれない人物だ。最低映画のために全てを賭して、プライベートを犠牲にして、おまけに女装癖を持っているばかりか、そんな自分を主人公にして脚本を書き、それを恋人に読ませる事でカミングアウトしようとする。
そんな彼と彼の仲間逹に愛想を尽かしたエドの恋人が投げつける最後の言葉―「あんたたち、狂ってる!」―は、決してヒステリックな暴言ではない。ティム・バートンは、観客に彼のマッドっぷりがきちんと伝わるように描いている。
それでもなお、この映画に出てくるエド・ウッドを観客が否定出来ないのは 彼がいかにも楽しそうだから。全身全霊をかけて映画に取り組み、それを心から楽しんでいるからである。
エドは役者の演技を見ながら、その台詞に合わせて口パクをする。時折まるで指揮者のように頷き、恍惚とした顔を見せる。
そんな彼に何を言えるだろう?こちらも笑って見守るくらいしか出来ない。
ティム・バートンのクリーチャーに対する愛(エド・ウッドは常識の尺度で測れば間違いなく化け物だ)が溢れた、良い映画だった。文句なしのオススメ!
ほんと、何で忘れたんだろう…この後に「劇場版天元突破グレンラガン:紅蓮編」(こっちもオススメ)なんて濃いもんを観たせいだろうか。
この映画を観て感動して
ついうっかりエド・ウッドの映画を観てしまい
そのあんまりな完成度に打ちのめされた映画ファンって世界中にあふれかえってんだろうなあ。
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