くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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いつも観た映画を手帳に書いてるんだけど、先週の金曜日から記入すんの忘れててさっき遅れて書き付けた。んだけど、金曜日に観た映画のうちの一本がどーしても思い出せない。
ツタヤディスカスで届いた二枚を一気に金曜日に観たはずで、もう一本が「転々」なのは間違いないんだけど…まー覚えてないってこたそんな面白くなかったのかな。と思いつつケータイでレンタル履歴を調べたらびっくり。
ああああエド・ウッドだあああああああああ
何で忘れてたんだろう…つまんなくないよ!超面白かったよ!実在した最低の映画監督 エド・ウッドをジョニー・デップが演じたティム・バートンの代表作です。作る映画はどれもこれも最低で、観客はスクリーンにポップコーンを投げまくるばかりか、舞台挨拶に現れた監督および俳優に対しても全く躊躇わずあらゆるものを投げつける始末。
今の世にも勿論「つまらない映画」ってもんは溢れ返っているけど、その大半は大体ビジョンが曖昧だったとか制作者の意図が通らなかったとかクライアントが無茶な要望を出したとか予算が足りなかったとか脚本がまずかったとか役者が悪かったとかそういう、いわば「力及ばず駄作」みたいな理由付けが行われる余地のあるものだけど、エド・ウッドの映画は違う。
彼の中には完璧なビジョンがあるしこだわりもある。スポンサーからのクレームも笑顔とトークでお茶濁して知らんふり。スタッフの仕事にエドも大満足。勿論自分自身の仕事にも自信満々。役者は彼が敬愛してやまないベラ・ルゴシ他、監督自身がスカウトしてきたオールスターだ。
力と愛はみなぎっている。
エドは、彼が面白いと思える映画を全力で作っているしその出来映えにも満足している。何も問題は無いのだ。ただ彼が面白いと思うものが、世間から観てびっくりするほどつまらないってだけ。
さて こうなった場合、ですよ。
要するに、世界中で自分以外の誰も、自分の作るものを必要としてないとしても、人は創作をやめずにいられるだろうか?
創作を続けることが出来るだろうか?
「戦い続けろ。自分の夢を見るんだ。他人の夢を見てどうする?」
劇中である人物が言う台詞である。
この作品はティム・バートンによるエド・ウッドへの、ベラ・ルゴシへのラブレターであり、映画監督としての意思表明であり、ひいては世界中のクリエイターに向けた応援歌なのだ。
ジョニー・デップ扮するエド・ウッドが、終始何とも良い笑顔で映画を撮って撮って撮りまくる。暗礁に乗り上げても、撮影が頓挫しても、何処か楽しそうに、自分を支えてくれるスタッフとともに(またこの人たちがすごい良い人達で、エド・ウッドが何だかんだで人望のある人物なんだということが分かる)何とかかんとか乗り越えていく。
とかく、何かに夢中になっている人間は端から見るとただ頭のおかしい人に見えがちである。実際エド・ウッドは狂人と言いうるかもしれない人物だ。最低映画のために全てを賭して、プライベートを犠牲にして、おまけに女装癖を持っているばかりか、そんな自分を主人公にして脚本を書き、それを恋人に読ませる事でカミングアウトしようとする。
そんな彼と彼の仲間逹に愛想を尽かしたエドの恋人が投げつける最後の言葉―「あんたたち、狂ってる!」―は、決してヒステリックな暴言ではない。ティム・バートンは、観客に彼のマッドっぷりがきちんと伝わるように描いている。
それでもなお、この映画に出てくるエド・ウッドを観客が否定出来ないのは 彼がいかにも楽しそうだから。全身全霊をかけて映画に取り組み、それを心から楽しんでいるからである。
エドは役者の演技を見ながら、その台詞に合わせて口パクをする。時折まるで指揮者のように頷き、恍惚とした顔を見せる。
そんな彼に何を言えるだろう?こちらも笑って見守るくらいしか出来ない。
ティム・バートンのクリーチャーに対する愛(エド・ウッドは常識の尺度で測れば間違いなく化け物だ)が溢れた、良い映画だった。文句なしのオススメ!
ほんと、何で忘れたんだろう…この後に「劇場版天元突破グレンラガン:紅蓮編」(こっちもオススメ)なんて濃いもんを観たせいだろうか。
この映画を観て感動して
ついうっかりエド・ウッドの映画を観てしまい
そのあんまりな完成度に打ちのめされた映画ファンって世界中にあふれかえってんだろうなあ。
ツタヤディスカスで届いた二枚を一気に金曜日に観たはずで、もう一本が「転々」なのは間違いないんだけど…まー覚えてないってこたそんな面白くなかったのかな。と思いつつケータイでレンタル履歴を調べたらびっくり。
ああああエド・ウッドだあああああああああ
何で忘れてたんだろう…つまんなくないよ!超面白かったよ!実在した最低の映画監督 エド・ウッドをジョニー・デップが演じたティム・バートンの代表作です。作る映画はどれもこれも最低で、観客はスクリーンにポップコーンを投げまくるばかりか、舞台挨拶に現れた監督および俳優に対しても全く躊躇わずあらゆるものを投げつける始末。
今の世にも勿論「つまらない映画」ってもんは溢れ返っているけど、その大半は大体ビジョンが曖昧だったとか制作者の意図が通らなかったとかクライアントが無茶な要望を出したとか予算が足りなかったとか脚本がまずかったとか役者が悪かったとかそういう、いわば「力及ばず駄作」みたいな理由付けが行われる余地のあるものだけど、エド・ウッドの映画は違う。
彼の中には完璧なビジョンがあるしこだわりもある。スポンサーからのクレームも笑顔とトークでお茶濁して知らんふり。スタッフの仕事にエドも大満足。勿論自分自身の仕事にも自信満々。役者は彼が敬愛してやまないベラ・ルゴシ他、監督自身がスカウトしてきたオールスターだ。
力と愛はみなぎっている。
エドは、彼が面白いと思える映画を全力で作っているしその出来映えにも満足している。何も問題は無いのだ。ただ彼が面白いと思うものが、世間から観てびっくりするほどつまらないってだけ。
さて こうなった場合、ですよ。
要するに、世界中で自分以外の誰も、自分の作るものを必要としてないとしても、人は創作をやめずにいられるだろうか?
創作を続けることが出来るだろうか?
「戦い続けろ。自分の夢を見るんだ。他人の夢を見てどうする?」
劇中である人物が言う台詞である。
この作品はティム・バートンによるエド・ウッドへの、ベラ・ルゴシへのラブレターであり、映画監督としての意思表明であり、ひいては世界中のクリエイターに向けた応援歌なのだ。
ジョニー・デップ扮するエド・ウッドが、終始何とも良い笑顔で映画を撮って撮って撮りまくる。暗礁に乗り上げても、撮影が頓挫しても、何処か楽しそうに、自分を支えてくれるスタッフとともに(またこの人たちがすごい良い人達で、エド・ウッドが何だかんだで人望のある人物なんだということが分かる)何とかかんとか乗り越えていく。
とかく、何かに夢中になっている人間は端から見るとただ頭のおかしい人に見えがちである。実際エド・ウッドは狂人と言いうるかもしれない人物だ。最低映画のために全てを賭して、プライベートを犠牲にして、おまけに女装癖を持っているばかりか、そんな自分を主人公にして脚本を書き、それを恋人に読ませる事でカミングアウトしようとする。
そんな彼と彼の仲間逹に愛想を尽かしたエドの恋人が投げつける最後の言葉―「あんたたち、狂ってる!」―は、決してヒステリックな暴言ではない。ティム・バートンは、観客に彼のマッドっぷりがきちんと伝わるように描いている。
それでもなお、この映画に出てくるエド・ウッドを観客が否定出来ないのは 彼がいかにも楽しそうだから。全身全霊をかけて映画に取り組み、それを心から楽しんでいるからである。
エドは役者の演技を見ながら、その台詞に合わせて口パクをする。時折まるで指揮者のように頷き、恍惚とした顔を見せる。
そんな彼に何を言えるだろう?こちらも笑って見守るくらいしか出来ない。
ティム・バートンのクリーチャーに対する愛(エド・ウッドは常識の尺度で測れば間違いなく化け物だ)が溢れた、良い映画だった。文句なしのオススメ!
ほんと、何で忘れたんだろう…この後に「劇場版天元突破グレンラガン:紅蓮編」(こっちもオススメ)なんて濃いもんを観たせいだろうか。
この映画を観て感動して
ついうっかりエド・ウッドの映画を観てしまい
そのあんまりな完成度に打ちのめされた映画ファンって世界中にあふれかえってんだろうなあ。
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原作では老若男女に留まらず犬とまでまぐわっていた魔性のビューティー結城美智雄が映画ではあまりにもありがちな無敵くんになっていたのに対して、賀来神父はちょっとムサい受に華麗な転身を遂げておりました。簡単に言うと
原作
![PA0_0003.JPG](http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/7f1be5a0fed7ab44ddd8e6a17783effd/1247755339?w=240&h=320)
![PA0_0004.JPG](http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/7f1be5a0fed7ab44ddd8e6a17783effd/1247755359?w=240&h=320)
賀来×美智雄
映画
![b9139160.jpg](http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/7f1be5a0fed7ab44ddd8e6a17783effd/1247755946?w=221&h=250)
![3c2bb5f8.jpg](http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/7f1be5a0fed7ab44ddd8e6a17783effd/1247755933?w=223&h=250)
美智雄×賀来
みたいな。
なんという下剋上。
でもどっちにしろ主導権は美智雄のものなのであんま変わりはない。
容赦なくあらゆる人間を惑わしては殺す、冷血で残忍な男 結城美智雄。その犯行を知りながら見捨てられず、彼に翻弄されながら次第に壮大な犯罪計画に巻き込まれて行く賀来神父。彼らを結ぶのは、10数年前に端を発した、ある悲劇の記憶だった。
企画発表直後から原作レイプの呼び声高かった本作ですが、山田孝之と玉置宏の宝塚っぽい口調目当てで行った私は存分に楽しみました。
宝塚っぽい口調は下の動画を見て各々確認してください。
まあレイプはレイプとして当然為されてはいたわけですが、あの原作を寸分違わず再現されてもそれはそれで近づき難い気がします。
ただ原作のガチホモ感は現代風にソフトな味付けとして雰囲気を残すに留め…てまーいーや要するにBLですよBL。腐女子ホイホイ。
何かさー制作者は狙ってると思うよねー
あたいの孝之に
「俺はお前さえいればそれで良いんだ」
とか
「俺と一緒に逃げよう」
とか
「一緒に死のう」
とか言わせんのやめてくれる!(ぷんぷん)
まあ原作が原作だしBL描写くらい何でもないっちゃないんだけど、原作美智雄の性的倒錯はMWによる後遺症と、宿命的に人を愛せないが故の賀来(世界中で唯一自分と同じ境遇を持つ者)に向ける執着のせいであってホモとは違うと思うんだよね。仮に賀来が女でも、美智雄は賀来に病的な執着を抱いていたはず。んで賀来が美智雄を拒めないのも、愛とか欲とかよりは情つーかさ。まあ情だとか何だとか言いながらしっかり美智雄との関係に耽溺しているところが原作賀来のずるいところよ。
ま、ともかくストーリーについて語れるレベルの映画じゃないです。最初の誘拐シーン長すぎ(アタッシュケース死守した意味無いやん!)。あと不必要にカメラ揺らし過ぎ(小娘一人撃ち殺すくらいでもったいぶったカメラワークいらん。ちゃっちゃ殺せ)。あとスケールが小さい…(みもふたもない)
それから、原作ではベトナム戦争中だか第二次大戦中だかに「ある国」が開発した殺人ガスが日本のとある島に保管されててそれが漏れたって話だったんだけど、映画ではそれが「湾岸戦争中」に開発されたって事になっててさあ…
うーん…ちょっとそれは…苦し過ぎない?と思わざるを得ず。戦争なら何でも良いのか?湾岸戦争ってつい最近なんだけど。ほんの10年ちょっと前に日本がアメリカさんの言われるがまま大惨事を揉み消したって言われてもあんまリアリティー無い。昭和だよなあーせめてさあー。
↑アメリカ関係なかったかも。いやごめんなさいちょっとここらへんうろ覚えです。いい加減なこと書いてごめんなたい。
あとMWの隠し場所に侵入した民間人を「撃つよ」「良いよ」でヘリから攻撃始める米軍さんには思わずワラタ。「フルメタルジャケット」のオマージュかと思った。フゥフハハー!つかそんな機密事項ならあんな簡単に人が入れる事自体おかしいだろ!まあこんなレベルで突っ込み入れてたら夜が明けるんだけどさ。
とにかく真面目に見れば見るほど安っぽさとつまんなさに苛つく事請け合いなんで、ここは山田孝之のムサい受っぷりと「私服がどう見ても田舎の大学生だよ」的な垢抜けなさを堪能しましょう。 この人まったく神父に見えないので、一応ぶら下げてるロザリオがビジュアル系バンドにハマった男の子っぽくてダサ可愛い
(盲目の愛を注ぐ私)。
あ、あと出演者のみなさんが意外に英語上手かったので感心しました(何様)。みんな凄いなあ。これで映画さえ面白きゃねえ…
アマゾンランキング【本】で8,9位って凄いな!
映画効果か…
原作
賀来×美智雄
映画
美智雄×賀来
みたいな。
なんという下剋上。
でもどっちにしろ主導権は美智雄のものなのであんま変わりはない。
容赦なくあらゆる人間を惑わしては殺す、冷血で残忍な男 結城美智雄。その犯行を知りながら見捨てられず、彼に翻弄されながら次第に壮大な犯罪計画に巻き込まれて行く賀来神父。彼らを結ぶのは、10数年前に端を発した、ある悲劇の記憶だった。
企画発表直後から原作レイプの呼び声高かった本作ですが、山田孝之と玉置宏の宝塚っぽい口調目当てで行った私は存分に楽しみました。
宝塚っぽい口調は下の動画を見て各々確認してください。
まあレイプはレイプとして当然為されてはいたわけですが、あの原作を寸分違わず再現されてもそれはそれで近づき難い気がします。
ただ原作のガチホモ感は現代風にソフトな味付けとして雰囲気を残すに留め…てまーいーや要するにBLですよBL。腐女子ホイホイ。
何かさー制作者は狙ってると思うよねー
あたいの孝之に
「俺はお前さえいればそれで良いんだ」
とか
「俺と一緒に逃げよう」
とか
「一緒に死のう」
とか言わせんのやめてくれる!(ぷんぷん)
まあ原作が原作だしBL描写くらい何でもないっちゃないんだけど、原作美智雄の性的倒錯はMWによる後遺症と、宿命的に人を愛せないが故の賀来(世界中で唯一自分と同じ境遇を持つ者)に向ける執着のせいであってホモとは違うと思うんだよね。仮に賀来が女でも、美智雄は賀来に病的な執着を抱いていたはず。んで賀来が美智雄を拒めないのも、愛とか欲とかよりは情つーかさ。まあ情だとか何だとか言いながらしっかり美智雄との関係に耽溺しているところが原作賀来のずるいところよ。
ま、ともかくストーリーについて語れるレベルの映画じゃないです。最初の誘拐シーン長すぎ(アタッシュケース死守した意味無いやん!)。あと不必要にカメラ揺らし過ぎ(小娘一人撃ち殺すくらいでもったいぶったカメラワークいらん。ちゃっちゃ殺せ)。あとスケールが小さい…(みもふたもない)
それから、原作ではベトナム戦争中だか第二次大戦中だかに「ある国」が開発した殺人ガスが日本のとある島に保管されててそれが漏れたって話だったんだけど、映画ではそれが「湾岸戦争中」に開発されたって事になっててさあ…
うーん…ちょっとそれは…苦し過ぎない?と思わざるを得ず。戦争なら何でも良いのか?湾岸戦争ってつい最近なんだけど。
↑アメリカ関係なかったかも。いやごめんなさいちょっとここらへんうろ覚えです。いい加減なこと書いてごめんなたい。
あとMWの隠し場所に侵入した民間人を「撃つよ」「良いよ」でヘリから攻撃始める米軍さんには思わずワラタ。「フルメタルジャケット」のオマージュかと思った。フゥフハハー!つかそんな機密事項ならあんな簡単に人が入れる事自体おかしいだろ!まあこんなレベルで突っ込み入れてたら夜が明けるんだけどさ。
とにかく真面目に見れば見るほど安っぽさとつまんなさに苛つく事請け合いなんで、ここは山田孝之のムサい受っぷりと「私服がどう見ても田舎の大学生だよ」的な垢抜けなさを堪能しましょう。 この人まったく神父に見えないので、一応ぶら下げてるロザリオがビジュアル系バンドにハマった男の子っぽくてダサ可愛い
(盲目の愛を注ぐ私)。
あ、あと出演者のみなさんが意外に英語上手かったので感心しました(何様)。みんな凄いなあ。これで映画さえ面白きゃねえ…
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映画効果か…
正直に言って私は「ROOKIES劇場版」なんかを観に来る人たちに対して「へっ」とか思ってた。相当馬鹿にしていた。
そもそもがテレビドラマ→映画化 という流れは昨今の邦画界を蝕んでいる悪しき金儲けメソッドだと思っていたし(これに関しては今もそう思っているけど)、そんな安易なやり方にあっさり釣られてホイホイ映画館に足を運ぶドラマのファンに対しても「馬鹿なんじゃないだろうか」と心の中で毒づいていた。「感動したー」とか「泣いたー」とか言ってる人たちを、苦虫噛み潰した顔でとっくりと眺めたい衝動に駆られた事もあったかもしれん。てか実際そんな顔で見た事もあったかもしれん。わからん。忘れた。
ありとあらゆる映画批評ブロガーやネット映画評論家の皆様が口々に「つまらん。見る価値なし」と言いたいところを二重三重にオブラート的なものでくるんで(という風に私には見えたってだけで皆様の真意など測りようもありやしませんよ念のため)「ドラマの最終回としては面白い。ドラマを見ていない人は、映画館に行く前にDVDでドラマシリーズを予習しましょうね」なんつう誰も傷つかない代わりに誰にとっても面白くも何ともない感想を口にしているのを見るにつけ「そんなにドラマが見たいなら家でDVD見てろ」と鼻で笑いつつ呟いていたわけです。
でも謝る。私は間違ってました。
いや間違ってなかったかもしんないけど、少なくとも私にROOKIESファンを笑う権利はありませんでした。
「やっぱこれ楽しむ為にはアニメ+映画2本観とかないと駄目だよなあああ!一応全部追っかけといて良かった!これは今までエヴァを追っかけた人たちに向けてのご褒美だよねえ!」
って「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観て思ったから。思考の流れを言語化してみて予想以上のキモさに震えました(実況)。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」に続く新シリーズの2作目である今回。前回の「序」が旧TVシリーズに割と忠実なストーリーで描かれていたのに対し、今作ではこれでもか!と言わんばかりの変革。フェイント。そして破壊。その中で最も大きく変化していたのは、登場人物たちの人格である。
例えば、お弁当を勧めた綾波に「お肉は嫌い」と言われても、今回のシンジはめげない。
「じゃあ、お味噌汁なら食べられるだろ?」
「……おいしい……」
おおお!コミュニケーション能力が上がっている!!
そもそもみんなのために弁当を作るシンジが奇蹟。
ていうかレイが「おいしい」とか!あああ!良かったねレイ!
アスカもふつーに食べて「意外と美味しいわね」とか言ってたよ。
弁当みんなで食べてる様子が凄い良かった。なんか…
ひょっとして今回はみんな幸せになれるんじゃないか?と期待してしまった。
エヴァなのに……!くやしい…!(ビクンビクン)
そう、今回の映画が今までのエヴァと違うのは
物語全体を包み込む「健全オーラ」。
たとえ!たとえあと2回でこの雰囲気が完膚なきまでに叩きのめされるとしても!
それでも良い…今はこの幸福感に浸っていたい…
まー、あと映像がきれいとか動きすげーとかは
当然のことなのでわざわざ言いませんがですね。
良かったよほんと。
冒頭であんなこと言いましたが、今までエヴァに触れていない人でも、序をDVDで観て、破を映画館で観るだけでも十分楽しめる筈です。
ほんとオススメ!
関連エントリ
んでいざ観に行ったらこの言い様なので
きっと友達にはなってくれない。
→役者に罪は無い… 「ROOKIES 卒業」
大体この手のリメイクには「なぜ今更…」つー印象がつきまとうけど、考えてみれば現役のファンだった少年少女が大人になってかつて愛した作品に手をかける訳だから当然と言えば当然ですね。手をかけるってまるで殺すみたいな物言いだけど別に深い意味は無いよ…
モー様の代表作であり少女マンガを一気に文学の粋にまで押し上げたとまで言われる傑作「トーマの心臓」が、SF作家森博嗣により小説化。表紙はモー様書き下ろし。本作の大ファンを自認する森氏渾身の力作。だと思う。多分。
しかしまあこの作品が発表されてから約40年は経ってんじゃないかと思うが、その間に同人誌で、商業紙で、昨今ではブログやHPで(ちゃんと調べた事は無いがモー様の二次創作サイトも普通にあるだろう)一体いくつの「非公式トーマの心臓外伝」が世に著されて来た事だろう。何人のモー様ファンが、あの少年たちの未来を想像しては、ドイツのギムナジウムに思いを馳せた事だろう。数多の少女たちの夢。あこがれ。決して描かれはしない物語だからこそ、長い間胸に秘めていられた宝物。
しかしそれが描かれてしまうというのだ。かつては、萩尾望都の一ファンであり、今は超が付く売れっ子の作家となった男の手によって。その額に「モー様公認」の印をいただいたおっさん(失礼)の手によって。
うーん…どうかねえ。多分だけど、「トーマ」ファンはあんまり食いつかないでしょう。確か「ポーの一族」ドラマCDもあんまり売れなかったんじゃなかったっけ?モー様も大絶賛とか謳ってるけど、あの人は間口が広いからとりあえず大体は誉めるんじゃないかと思うし。
まあ、どちらかつーと森博嗣ファン向けでしょ。
ところで、舞台は日本。主人公はオスカーだって噂ですよ。(→ソース)みんなオスカー好きだな…モー様含め。
私は萩尾望都ってあんなに魅力的なキャラを数多世に出していながら、特定のキャラに惚れ込んだり贔屓したりしないとこがなんつか凄いなって思うんだけど、そのモー様でさえ萌えに萌えまくった結果スピンオフ作品を世に出さずにはいられなかったオスカーというキャラの魔性っぷりはほんと輪をかけて凄いよなあと思う。
本編でも常に花を背負っての登場だし。まあかっこいいからな…つーかモー様の漫画って一点豪華主義だよね。トーマのオスカー、ポーのエドガー、残神のイアン。みたいな。
まあ、あくまでかつてのファンが萌えとプロとしての責任や重圧の板挟みになりながら生み出した二次創作であるという事を忘れずに読めばそこそこ楽しめるんじゃない?と内容を知りもしないどころか森さんの作品を一つとして読んだ事も無い癖に偉そうな口を叩いてみた。
愛溢れる作品に仕上がってたら良いですね…
愛の無い二次創作ってほんと手に負えないからね。
関連エントリ
で、読んだわけです。
→二次創作物と二次的著作物の違いについて 「トーマの心臓小説版」
正真正銘モー様の描いた後日談が読みたい人は
パーフェクトセレクションでトーマを読もう。
ずっと絶版で読めなかった「湖畔にて」が小冊子でくっついてくるよ!
モー様の代表作であり少女マンガを一気に文学の粋にまで押し上げたとまで言われる傑作「トーマの心臓」が、SF作家森博嗣により小説化。表紙はモー様書き下ろし。本作の大ファンを自認する森氏渾身の力作。だと思う。多分。
しかしまあこの作品が発表されてから約40年は経ってんじゃないかと思うが、その間に同人誌で、商業紙で、昨今ではブログやHPで(ちゃんと調べた事は無いがモー様の二次創作サイトも普通にあるだろう)一体いくつの「非公式トーマの心臓外伝」が世に著されて来た事だろう。何人のモー様ファンが、あの少年たちの未来を想像しては、ドイツのギムナジウムに思いを馳せた事だろう。数多の少女たちの夢。あこがれ。決して描かれはしない物語だからこそ、長い間胸に秘めていられた宝物。
しかしそれが描かれてしまうというのだ。かつては、萩尾望都の一ファンであり、今は超が付く売れっ子の作家となった男の手によって。その額に「モー様公認」の印をいただいたおっさん(失礼)の手によって。
うーん…どうかねえ。多分だけど、「トーマ」ファンはあんまり食いつかないでしょう。確か「ポーの一族」ドラマCDもあんまり売れなかったんじゃなかったっけ?モー様も大絶賛とか謳ってるけど、あの人は間口が広いからとりあえず大体は誉めるんじゃないかと思うし。
まあ、どちらかつーと森博嗣ファン向けでしょ。
ところで、舞台は日本。主人公はオスカーだって噂ですよ。(→ソース)みんなオスカー好きだな…モー様含め。
私は萩尾望都ってあんなに魅力的なキャラを数多世に出していながら、特定のキャラに惚れ込んだり贔屓したりしないとこがなんつか凄いなって思うんだけど、そのモー様でさえ萌えに萌えまくった結果スピンオフ作品を世に出さずにはいられなかったオスカーというキャラの魔性っぷりはほんと輪をかけて凄いよなあと思う。
本編でも常に花を背負っての登場だし。まあかっこいいからな…つーかモー様の漫画って一点豪華主義だよね。トーマのオスカー、ポーのエドガー、残神のイアン。みたいな。
まあ、あくまでかつてのファンが萌えとプロとしての責任や重圧の板挟みになりながら生み出した二次創作であるという事を忘れずに読めばそこそこ楽しめるんじゃない?と内容を知りもしないどころか森さんの作品を一つとして読んだ事も無い癖に偉そうな口を叩いてみた。
愛溢れる作品に仕上がってたら良いですね…
愛の無い二次創作ってほんと手に負えないからね。
関連エントリ
で、読んだわけです。
→二次創作物と二次的著作物の違いについて 「トーマの心臓小説版」
正真正銘モー様の描いた後日談が読みたい人は
パーフェクトセレクションでトーマを読もう。
ずっと絶版で読めなかった「湖畔にて」が小冊子でくっついてくるよ!
今日は映画の日だったのねー。道理で異様な混み具合だったことよ…
つーことでほぼ満席の映画館で観てきたのはウディ・アレンの最新作。身持ちの固い現実主義者、ヴィッキーと奔放な快楽主義者クリスティーナがバカンスに訪れたバルセロナで女好きの画家と出会い恋したりしなかったりのラブアフェア!ジャーン(擬音)!
つまんね。←感想
いや…あのね何てんですかね、私あんまりウディ・アレンの熱心なファンでもありませんからね、良さをあんま理解してるとも言えないんだけど、なんてーかこの人の映画って所々で「クスッ」みたいな、思わず笑っちゃうあけっぴろげで開き直った登場人物達の会話が魅力なんだと勝手に思ってた訳ですがね…
そういう期待をして行って、んで軽い肩透かしを食らった訳です。
あとね、私以前にも書いたかもしんないけど、スカーレット・ヨハンソンの演じる女を何故かいつも好きになれないんですよ。
それはいつも「基本ビッチなのにビッチである事に関して一つも痛い目に遭わないビッチ」の役ばっかだから。
今回もご多分に漏れず、スカージョの演じるクリスティーナは自由な恋愛に興じながらも、真実の愛と確固たる(誰にも似ていない)自我を追い求めるアメリカ生まれのビッチさん。クリエイティブ方面で才能を開花させたいと望んでいる芸術家ワナビーで、友人のヴィッキーとは対照的にあっさりと画家の誘いに乗る。
で、結局彼と二人で暮らし始めたところに彼の元妻が転がりこんでくる。そこで奇妙な三角関係が始まり…
この時点で私は「あー、てこたスカージョさんが元妻に男盗られておんだされんのかー」と思った。んで、(まあ何て根性がいがんでることか)それなら面白いかも、と思いもしたわけだ。
だってさー つまんないじゃん。いつもちやほやされてるだけの女優なんて。たまには意地悪な役とか、みっともない役とかやってくんないとさあ。
例えば、吉永小百合がすっごいエッグい不細工でネクラな老ホテトルとかやるって聞いたら、見たいじゃん。…いや見たくはないか…少なくとも「北の零年」とかよりは興味惹かれんじゃん。
つー事で、まあちょっとだけそういう展開になるのを待ってたりもしたわけだ。んだけどさー。
あ こっからネタバレかも。
結局最終的に、まあスカージョは全然痛い目に遭わない。
奔放で危険で魅力的な三角関係を存分に楽しんだ後、飽きて一人そこを去っていく。
再び自分探しの旅に出るのだ。
画家とその元妻を捨てて。
もちろん、劇中では選民思想のワナビー女であるクリスティーナの傲慢さや無様さも多少描かれはする。ありきたりな恋愛や価値観を馬鹿にして、自分は特別な存在だと理由も無く信じ込んでいる、という ヴィッキーの夫によるクリスティーナ評は驚くほど的確だ。
んでもそんだけなんだよなー。いや…この映画の言いたいことは分かりますけどね。旅先で驚くような出会いがあって、それが自分の人生を180度変えてしまうような恋を生んだとしても、結局 めまぐるしい変化などは起きないし、起きたとしても大抵の人はそんな決断は出来ず元の日常におさまるものだ。何故なら人間は、それと知らずに自分自身の人生を無数の選択によって作り上げているから。心から運命的出会いを求めていて、いざそれに出くわしても、結局そちらには行かない。なんてことは良くある事なんだろう。人間には分相応ってもんがある。それを表すのがあのラストシーンだとしても、もうちょっとクリスティーナを汚してくれても良かったのにな、と思う。何だろう、こんな事を考えるのは私だけなんだろーか。ただ私がスカージョ嫌いなだけか?まあそんでも良いけど。
ま、ヴィッキーを主人公と思って観ればそれなりに面白かったかなと思います。スカーレット・ヨハンソンのファンとウディ・アレンのファンにはオススメ。
それ以外はどうかなあーペネロペも「ボルベール・帰郷」の時のが30倍魅力的だったし。
何より「ノーカントリー」のシガーがちょっとヒゲ生やして髪切っただけで女たらしの画家だなんて思えない!一緒にワインなんて飲んだら殺されるわい。額に風穴で一発だわい。
まーとりあえずスカージョは相変わらずの特別扱いでしたよ。
つまんねーなあああー!たまにはぐずぐずに振られて泣けよ!(嫌いすぎだろ)
つーことでほぼ満席の映画館で観てきたのはウディ・アレンの最新作。身持ちの固い現実主義者、ヴィッキーと奔放な快楽主義者クリスティーナがバカンスに訪れたバルセロナで女好きの画家と出会い恋したりしなかったりのラブアフェア!ジャーン(擬音)!
つまんね。←感想
いや…あのね何てんですかね、私あんまりウディ・アレンの熱心なファンでもありませんからね、良さをあんま理解してるとも言えないんだけど、なんてーかこの人の映画って所々で「クスッ」みたいな、思わず笑っちゃうあけっぴろげで開き直った登場人物達の会話が魅力なんだと勝手に思ってた訳ですがね…
そういう期待をして行って、んで軽い肩透かしを食らった訳です。
あとね、私以前にも書いたかもしんないけど、スカーレット・ヨハンソンの演じる女を何故かいつも好きになれないんですよ。
それはいつも「基本ビッチなのにビッチである事に関して一つも痛い目に遭わないビッチ」の役ばっかだから。
今回もご多分に漏れず、スカージョの演じるクリスティーナは自由な恋愛に興じながらも、真実の愛と確固たる(誰にも似ていない)自我を追い求めるアメリカ生まれのビッチさん。クリエイティブ方面で才能を開花させたいと望んでいる芸術家ワナビーで、友人のヴィッキーとは対照的にあっさりと画家の誘いに乗る。
で、結局彼と二人で暮らし始めたところに彼の元妻が転がりこんでくる。そこで奇妙な三角関係が始まり…
この時点で私は「あー、てこたスカージョさんが元妻に男盗られておんだされんのかー」と思った。んで、(まあ何て根性がいがんでることか)それなら面白いかも、と思いもしたわけだ。
だってさー つまんないじゃん。いつもちやほやされてるだけの女優なんて。たまには意地悪な役とか、みっともない役とかやってくんないとさあ。
例えば、吉永小百合がすっごいエッグい不細工でネクラな老ホテトルとかやるって聞いたら、見たいじゃん。…いや見たくはないか…少なくとも「北の零年」とかよりは興味惹かれんじゃん。
つー事で、まあちょっとだけそういう展開になるのを待ってたりもしたわけだ。んだけどさー。
あ こっからネタバレかも。
結局最終的に、まあスカージョは全然痛い目に遭わない。
奔放で危険で魅力的な三角関係を存分に楽しんだ後、飽きて一人そこを去っていく。
再び自分探しの旅に出るのだ。
画家とその元妻を捨てて。
もちろん、劇中では選民思想のワナビー女であるクリスティーナの傲慢さや無様さも多少描かれはする。ありきたりな恋愛や価値観を馬鹿にして、自分は特別な存在だと理由も無く信じ込んでいる、という ヴィッキーの夫によるクリスティーナ評は驚くほど的確だ。
んでもそんだけなんだよなー。いや…この映画の言いたいことは分かりますけどね。旅先で驚くような出会いがあって、それが自分の人生を180度変えてしまうような恋を生んだとしても、結局 めまぐるしい変化などは起きないし、起きたとしても大抵の人はそんな決断は出来ず元の日常におさまるものだ。何故なら人間は、それと知らずに自分自身の人生を無数の選択によって作り上げているから。心から運命的出会いを求めていて、いざそれに出くわしても、結局そちらには行かない。なんてことは良くある事なんだろう。人間には分相応ってもんがある。それを表すのがあのラストシーンだとしても、もうちょっとクリスティーナを汚してくれても良かったのにな、と思う。何だろう、こんな事を考えるのは私だけなんだろーか。ただ私がスカージョ嫌いなだけか?まあそんでも良いけど。
ま、ヴィッキーを主人公と思って観ればそれなりに面白かったかなと思います。スカーレット・ヨハンソンのファンとウディ・アレンのファンにはオススメ。
それ以外はどうかなあーペネロペも「ボルベール・帰郷」の時のが30倍魅力的だったし。
何より「ノーカントリー」のシガーがちょっとヒゲ生やして髪切っただけで女たらしの画家だなんて思えない!一緒にワインなんて飲んだら殺されるわい。額に風穴で一発だわい。
まーとりあえずスカージョは相変わらずの特別扱いでしたよ。
つまんねーなあああー!たまにはぐずぐずに振られて泣けよ!(嫌いすぎだろ)