くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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で、「グラン・トリノ」である。
先述の通り、イーストウッドの映画はその時々の彼自身が下す決断そのものだと私は思っている。そしてその決断は常に
「法律なんざ糞くらえだ。俺は好きな奴のためにしてやれる全てをしてやるんだよ!」
てな具合であったわけだ。今までは。
それが、今回は違った。ハッキリ違った。
いや、正確に言えば違わない。根幹を流れる熱い思い、意思は今までの決断、つまり今までの作品と全く変わらないものだ。
でも違う。
もっと言えば、本作の中盤でコワルスキのとる行動こそが、今までの彼の決断そのものだった。いつもの彼なら、あの行動を以て決断としていたはずだ。
しかし本作では、その行動が彼と彼の隣人に決定的な悲劇をもたらす事になる。
そしてコワルスキは苦しみ、自分を責めに責め、やがて気付くのだ。自分の罪と向かい合う事がいかに辛いか。だからこそ人々は教会に行き、懺悔するのだということを。
亡くなった彼の妻が、自分が死んだら主人の懺悔を聞いてやってくれと若い神父に頼んでいた事を彼は苦々しく思っていた。
「主人は朝鮮戦争で人を沢山殺した事を悔いてるの。」
妻が神父にそう打ち明けていた事も。
その神父が何度家に訪ねて来ても、決して懺悔をしようとはしなかった。
その彼が、物語の終盤に漸く教会に行き、懺悔室に入る。
「神父様、俺は悪い人間だった。一度だけ、女房以外の女とキスをした。息子たちにも優しくなかった。…上手に接する事が出来なかったんだ。」
いくつかの懺悔を終えて、彼は立ち上がる。神父は面食らう。コワルスキは、悲劇を引き起こした自分の行動を、或いは戦争での事を終に口にはしなかったからだ。
「それだけ?」
「それだけ?ずっと気にかかっていた」
「貴方の心に安らぎのあらんことを」
コワルスキは振り返る。
「俺の心は安らいでいる」
…正直 ここまで書いて本作の魅力が十分に伝わっているのか分からない。もっと端的に良いところを紹介しようと思えば出来るんだとは思うがどうなんだろう。
例えば、コワルスキが戦争で人を殺した事について懺悔をしなかったのは、その罪について決して許されず、責任を背負い生きていく事を選んだからだ。とか
神に告解するという方法ではない、別の方法で自分の罪に決着をつける為だ。とか
そう説明しようと思えば出来る事かもしれないが、そういう事はむしろ説明すべきことじゃない気がする。
言えるのは、本作がイーストウッドの出した堂々たる結論であり、もっと言えば遺言であるということ。そしてそれは、今までのどの作品とも違う境地、言わば「遺す者」としての視点をイーストウッドが獲得したことの証明だということだ。
ストーリーがありきたりだとか、展開が読めるとか、そんな批評にはびくともしない威厳を持った作品だと思う。
躊躇せずに観るべし!
先述の通り、イーストウッドの映画はその時々の彼自身が下す決断そのものだと私は思っている。そしてその決断は常に
「法律なんざ糞くらえだ。俺は好きな奴のためにしてやれる全てをしてやるんだよ!」
てな具合であったわけだ。今までは。
それが、今回は違った。ハッキリ違った。
いや、正確に言えば違わない。根幹を流れる熱い思い、意思は今までの決断、つまり今までの作品と全く変わらないものだ。
でも違う。
もっと言えば、本作の中盤でコワルスキのとる行動こそが、今までの彼の決断そのものだった。いつもの彼なら、あの行動を以て決断としていたはずだ。
しかし本作では、その行動が彼と彼の隣人に決定的な悲劇をもたらす事になる。
そしてコワルスキは苦しみ、自分を責めに責め、やがて気付くのだ。自分の罪と向かい合う事がいかに辛いか。だからこそ人々は教会に行き、懺悔するのだということを。
亡くなった彼の妻が、自分が死んだら主人の懺悔を聞いてやってくれと若い神父に頼んでいた事を彼は苦々しく思っていた。
「主人は朝鮮戦争で人を沢山殺した事を悔いてるの。」
妻が神父にそう打ち明けていた事も。
その神父が何度家に訪ねて来ても、決して懺悔をしようとはしなかった。
その彼が、物語の終盤に漸く教会に行き、懺悔室に入る。
「神父様、俺は悪い人間だった。一度だけ、女房以外の女とキスをした。息子たちにも優しくなかった。…上手に接する事が出来なかったんだ。」
いくつかの懺悔を終えて、彼は立ち上がる。神父は面食らう。コワルスキは、悲劇を引き起こした自分の行動を、或いは戦争での事を終に口にはしなかったからだ。
「それだけ?」
「それだけ?ずっと気にかかっていた」
「貴方の心に安らぎのあらんことを」
コワルスキは振り返る。
「俺の心は安らいでいる」
…正直 ここまで書いて本作の魅力が十分に伝わっているのか分からない。もっと端的に良いところを紹介しようと思えば出来るんだとは思うがどうなんだろう。
例えば、コワルスキが戦争で人を殺した事について懺悔をしなかったのは、その罪について決して許されず、責任を背負い生きていく事を選んだからだ。とか
神に告解するという方法ではない、別の方法で自分の罪に決着をつける為だ。とか
そう説明しようと思えば出来る事かもしれないが、そういう事はむしろ説明すべきことじゃない気がする。
言えるのは、本作がイーストウッドの出した堂々たる結論であり、もっと言えば遺言であるということ。そしてそれは、今までのどの作品とも違う境地、言わば「遺す者」としての視点をイーストウッドが獲得したことの証明だということだ。
ストーリーがありきたりだとか、展開が読めるとか、そんな批評にはびくともしない威厳を持った作品だと思う。
躊躇せずに観るべし!
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