くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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世に「男の世界」を表す映画数ある中で、クリント・イーストウッドの映画が私の中でぎりぎり理解出来る範囲の「男の世界」。
イーストウッドという監督は、映画化するに足るテーマをきちんと見付けてくる人というイメージ。堅実というか、間違いないというか。
なおかつ、描こうとしているのは常に「男の生きざま」であった。少なくとも「ミリオンダラーベイビー」までは、主役は頑固でシャイな一人の男。ていうかイーストウッド本人。
彼が演じた幾つかの役柄は本質的には同じ存在であると言って良いと思う。というか、全部ダーティーハリーだ。正確に言えば、リアルに年を取っていくハリーだ。 だからつまりイーストウッドだ(めんどくさいな)。
娘に嫌われているハリー(イーストウッド)。泥棒に入った先で殺人事件を目撃したハリー(イーストウry)。廃れたジムでトレーナーをしているハリー(イry)。
ある意味で、イーストウッドの映画を観る事はハリー=イーストウッドの人生を追体験する事であった。その時々のイーストウッドが、男として導き出した結論。「俺が今正しいと思っているのはこれだ!」と、イーストウッドは言い続けて来たのだ。だから彼の映画には、ストーリーや展開・構成などの技巧も超越した圧倒的な迫力がある。
硫黄島二部作、「チェンジリング」と続き、「ああイーストウッドの映画はこっちに行くのか。」と思っていたところに「グラン・トリノ」の特報が入って来て、だから私は驚いた。そして同時に喜んだ。
私はイーストウッド映画が好きなのだ。もっと言えば、イーストウッドの演じる「頑固でシャイな親父」が好きなのだ。決して良い人間ではない。正義感に溢れてもいない。家族にいたらほぼ間違いなく鬱陶しい。そんな人間が、ふと自分の視界を横切った「何か」を無視出来ずに立ち上がる。
俺には関係無い事だ。
俺が怒る筋合いじゃない。出来る事は何もない。
国や警察の仕事だ。
分かってる。分かってる。分かってる。
でも俺は許せねーんだよ!!!
これがイーストウッドの映画だ。と私は思ってる。
こういう映画が私は好きなのだ。
つづく
イーストウッドという監督は、映画化するに足るテーマをきちんと見付けてくる人というイメージ。堅実というか、間違いないというか。
なおかつ、描こうとしているのは常に「男の生きざま」であった。少なくとも「ミリオンダラーベイビー」までは、主役は頑固でシャイな一人の男。ていうかイーストウッド本人。
彼が演じた幾つかの役柄は本質的には同じ存在であると言って良いと思う。というか、全部ダーティーハリーだ。正確に言えば、リアルに年を取っていくハリーだ。 だからつまりイーストウッドだ(めんどくさいな)。
娘に嫌われているハリー(イーストウッド)。泥棒に入った先で殺人事件を目撃したハリー(イーストウry)。廃れたジムでトレーナーをしているハリー(イry)。
ある意味で、イーストウッドの映画を観る事はハリー=イーストウッドの人生を追体験する事であった。その時々のイーストウッドが、男として導き出した結論。「俺が今正しいと思っているのはこれだ!」と、イーストウッドは言い続けて来たのだ。だから彼の映画には、ストーリーや展開・構成などの技巧も超越した圧倒的な迫力がある。
硫黄島二部作、「チェンジリング」と続き、「ああイーストウッドの映画はこっちに行くのか。」と思っていたところに「グラン・トリノ」の特報が入って来て、だから私は驚いた。そして同時に喜んだ。
私はイーストウッド映画が好きなのだ。もっと言えば、イーストウッドの演じる「頑固でシャイな親父」が好きなのだ。決して良い人間ではない。正義感に溢れてもいない。家族にいたらほぼ間違いなく鬱陶しい。そんな人間が、ふと自分の視界を横切った「何か」を無視出来ずに立ち上がる。
俺には関係無い事だ。
俺が怒る筋合いじゃない。出来る事は何もない。
国や警察の仕事だ。
分かってる。分かってる。分かってる。
でも俺は許せねーんだよ!!!
これがイーストウッドの映画だ。と私は思ってる。
こういう映画が私は好きなのだ。
つづく
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