くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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超久しぶりに「ギルバート・グレイプ」を観た。
いやあ…何て言いますか…
例えばジョニデ=スパロウとか。デカプリオ=タイタニックとか。そういう人はいて当然だけど、でもそんな彼らにはこんな作品もあるよ!と伝えたいのがこの映画。
ジュード・ロウの「ガタカ」なんかもそうだけど、「この俳優といえばこれ!」という作品がある役者は幸せだと思います。
まあ佳作がありすぎて絞り込めない!というのもそれはそれで幸せかもしれませんが。
もうとにかくデカプリオが天使。
名演です。
今後彼にあれ以上の役が回って来るだろうか?
今となっては懐かしいジュリエット・ルイスの可愛さも最高潮。
何よりジョニデの、あのよるべのない不安と諦念を称えた眼差しが!ああ…
外から見たらハンデだらけの破綻した家族に見えるのに、内側は意外と仲の良い普通の家族。でも家族間の仲の良さには常に多少の諦めが付きまとう。この家族も例外ではない。
夫の自殺に対するショックでものを食べ続け、7年前から一歩も外に出ていない肥満の母を、難病を患い成長することをやめてしまった17歳の弟を、兄妹たちはほんの少しの諦観を愛でくるんで世話をする。
しかし子どもたちはいずれ家族という繋がりを断ち切り、世界へと出て行かなくてはならない。この物語は、主人公が「家」という呪縛から解き放たれるまでのお話。
結局、自分で足を踏み出さなければ解き放たれる時は来ないのだ。
という事ですよ。
それに何があろうが家族は家族だし。
断ち切れないのは「絆」だけ。
そんなお話です。
これをおすすめしないで何をおすすめするんだってぐらいおすすめったらおすすめ!
完成披露試写会で主演の渡辺謙が「この映画撮るのがものすげー大変だったんだよう」と泣いた事で「そうかそんなに凄い映画なのか!」というベクトルではなく「よっぽどJALがえげつない嫌がらせをしたのであろうなあ」という印象だけを強く観客に持たせる事に成功した意欲作(偏見です)。
原作は毎回毎回映像化される度に「実在の企業や出来事とは一切関係ありません」と画面にでかく文字を出す癖に事件名や企業名が笑っちゃうくらいそのまんまなあまり、「お前隠す気ねーだろ」でお馴染みの山崎豊子。
本作品では航空会社の社員で、労働組合の会長をしていた事で役員から目をつけられ、僻地に飛ばされまくった挙げ句帰国するなり起きた御巣鷹山ジャンボ機墜落事故の遺族世話係を押し付けられた男の半生を描いている。
まあ昨今世に溢れている「なんちゃって社会派」に比べればしっかり骨太な作りだし、時代考証にも隙がなくて良いと思います。
ただこの主人公である恩地という人物が少々アクが無さ過ぎる。つーか良い人過ぎる。
ていうか、どっちかと言うと恩地をあからさまに目の敵にしながら、自分はあくまでも出世だけを見据えてのしあがって行く行天の方がキャラとして興味深い。
まあそんな感じの決して悪くない映画だと思うんですが、いかんせん出演者が豪華過ぎて、そちらにばかり目が行ってしまうという欠点が。
墜落する飛行機のパイロットに小日向文世、管制官に長谷川初範、乗客の一人に東幹久。政治家には小野武彦、柴俊夫、総理大臣に加藤剛(!)。余談ですが加藤剛が物凄く痩せていて暫く誰だか分からなかった。ご病気でもされているのかしらと、思わず心配になりました。
個人的に先日胃ガンで亡くなった山田辰夫(この作品が遺作だそうで)と小林捻持が全く違うシーンではありますが出演していて、おお狂い咲きサンダーロードコンビ…としみじみしました。個人的に好きな映画ではありませんが、やはり何かにつけ思い出す作品である事は確かです。
あと本当にちらっと上川隆也が出ていて「白い巨塔」つながりの強さを感じたり、恩地の息子が物凄く久しぶりの柏原崇だったり、松雪泰子と木村多江という薄幸美人対決最終決戦のカードが人知れず組まれていたりして、豪華でありながら何処か地味な、味のあるキャスティングが面白く、その面白さにストーリーが負けてしまっているという、良いんだか悪いんだか分かんない感想に終始いたしました。
とはいえ、こういう力強い、何かと障害も多いであろう作品の牙を削ぐ事無く完成させるには、観る側の想像も及ばない苦労もあっただろうし、その事に関しては冒頭で触れた渡辺謙号泣の意味を決して邪推するつもりはありません。
やや長いのが難点ではありますが、エンドロールの最後に出てきた「この作品が、何らかの形で航空機の安全・安心を促進するものとなる事を祈る」は割と泣かせますね。
今時珍しい日本映画の力作です。まあまあオススメ。
ごぶサターヌ!
えー今日はぁー夜の渋谷におります。何でってまあ映画観る為なんですが。
何とあの、あのですよ!
あの豊田利晃が帰って来たんですよ!
豊田利晃といえば
「9SOULS」とか!
「青い春」とか!
あと「青い春」とか!
(実際はもっと沢山映画を作ってらっしゃいます。ただ私がまだ観てないだけです。)
最近聞かないね。なんて言ってたらいつの間にか麻薬所持かなんかで刑務所に入ってたという梶原一騎もびっくりのアウトローな監督なんですが、この度復帰第一作が封切り直前!とゆーことで今までの作品がリバイバル上映!
なのでもちろん「青い春」を観てきました(またか)。
やんややんや言ってますがスクリーンで観るのは初めてですから!こりゃ行かないと!
いやー前から二列目で観る映画は格別ですな。
視界一杯の青木ちゃん。九條。愛しゅうございました。あとユキオ。美しゅうございました。
大音量のミッシェルにも痺れました。
あと、所々違和感というか、「あれ、こんなシーンあった?」と思ったところが二ヶ所くらいあったんだけど忘れた。後で調べよ…
しかし何度見ても最後の黒い校舎からラストに続く流れは最高です。
あの監督でなければ実現しえなかった完璧な映像だと思う。
疾走する九條の映像に挿入される短いカットが、それまでの彼らの日常を彷彿とさせ、感極まったところでゆっくりと開く墨染の花びら。
「黒い花咲くかも」
「渋いねそれ」
ああああああああもおおおおお
名作!!
スクリーンで観ることができて幸せです。幸せでした。
最新作の題名は「蘇りの血」で、12月19日から上映だそうです。
もちろん行くよ!
新井浩文も出るってさ!
えー今日はぁー夜の渋谷におります。何でってまあ映画観る為なんですが。
何とあの、あのですよ!
あの豊田利晃が帰って来たんですよ!
豊田利晃といえば
「9SOULS」とか!
「青い春」とか!
あと「青い春」とか!
(実際はもっと沢山映画を作ってらっしゃいます。ただ私がまだ観てないだけです。)
最近聞かないね。なんて言ってたらいつの間にか麻薬所持かなんかで刑務所に入ってたという梶原一騎もびっくりのアウトローな監督なんですが、この度復帰第一作が封切り直前!とゆーことで今までの作品がリバイバル上映!
なのでもちろん「青い春」を観てきました(またか)。
やんややんや言ってますがスクリーンで観るのは初めてですから!こりゃ行かないと!
いやー前から二列目で観る映画は格別ですな。
視界一杯の青木ちゃん。九條。愛しゅうございました。あとユキオ。美しゅうございました。
大音量のミッシェルにも痺れました。
あと、所々違和感というか、「あれ、こんなシーンあった?」と思ったところが二ヶ所くらいあったんだけど忘れた。後で調べよ…
しかし何度見ても最後の黒い校舎からラストに続く流れは最高です。
あの監督でなければ実現しえなかった完璧な映像だと思う。
疾走する九條の映像に挿入される短いカットが、それまでの彼らの日常を彷彿とさせ、感極まったところでゆっくりと開く墨染の花びら。
「黒い花咲くかも」
「渋いねそれ」
ああああああああもおおおおお
名作!!
スクリーンで観ることができて幸せです。幸せでした。
最新作の題名は「蘇りの血」で、12月19日から上映だそうです。
もちろん行くよ!
新井浩文も出るってさ!
以前にも書いたけど、韓国映画には日本映画やハリウッド映画に無いパワーを感じる。
それは感覚で言えば「痛み」に近い。
じくじくと疼く腫れもののような。血と膿をはらんだにきびのような。
非常にリアルな、隣人のような痛みである。
それと比較して言えば、例えばハリウッド映画(とひとくくりにするのも何か違うんだけど)が観客に与える痛みはマフィアにナイフで刺されるような、ボクサーにアッパー食らうような、レスラーにバックドロップ決められるような、そんな痛みである。音にするなら「バチーン」て感じの、明確でドラマチックな痛み。
でもそれらの痛みはある程度、我々の生活からはかけはなれているとも言える。私達はマフィアに刺されたり、ボクサーにアッパーかまされたり、レスラーにバックドロップ決められたりは、あまりしない。
まあ、だからこそそれらの物語が映画になるんだけど。
そんなこんなで「母なる証明」観て来た。
以下あらすじのようなもの
子供のまま大人になったような青年、トジュン。そんな彼を溺愛する母。二人きりの家族は、貧しいながらも平穏に暮らしていたが、女子高生殺人事件の犯人としてトジュンが逮捕された事で生活は一変する。母は息子を救うために真犯人を探し始めるが…
この映画を観た後偶然監督とキャストのインタビューを見る機会があって初めて気付いたんだけど、この映画の主人公には名前が無い。
主人公というのはつまり殺人容疑で逮捕された息子トジュンを救うため真犯人を自分の手で探しだそうと奔走する母親なんだけど、劇中で誰一人として彼女の名前を呼ばない。
言われてみればそうだった。観ている時は全く気付かなかった。おお恥ずかしい。
彼女に名前を付けなかったのは、母であるという事以外の意味付けを削ぎ落とす為だ、と監督は語っていた。
要するにこの映画の主人公は、誰かの母ではなく、母という存在の象徴として描かれていて、彼女はトジュンの母でありながら、同時に観客一人一人の母でもあるのだ。
で、我々はもう逃れようの無い、狂おしいまでの「母の愛」をまざまざと見せ付けられる訳である。
物語として、決して腑に落ちる話ではない。というか恐らく監督は意図的に物語る事を放棄している。何故なら物語にはオチがあって、それによって物語は終わるからだ。
しかし母の愛に終わりはないのである。
いくら注いでも枯れはしないのである。
それこそが、この映画が紛れもない悲劇である事の根本的な原因なのだ。
主演のキム・ヘジャは「韓国の母」と呼ばれる程の国民的女優であるという。
日本で言えば、市原悦子みたいなもんだろうか。違うか。吉永小百合か。もっと違うか。
そういう、いわゆる「母」という極めて健全なパブリックイメージを有している女優が、ああいう母親、なんと言ったら良いか、つまり「怖い母」を演じるというのは、想像するだに結構ショッキングなのではないかと思う。さらにその衝撃は決して衝撃のための衝撃ではなく、いわば母の愛という揺ぎ無い感情が存在する以上、決して否定は出来ないもの。下手したらそれは当然の帰結とさえ言えるのではないかと観客に思わせるほどの真っ当なエンディング、が与える衝撃。なのである。
その先にあるのが幸せであろうとなかろうと、注がずにいられない愛がある。しかし幸せに通じない愛は、呪いにさえ似てはいないだろうか。
観終わった後、考えずにいられない傑作。物凄くオススメ。
この後勢いで「殺人の追憶」も観たのでなんか書くかもしれない。
でもその前に「グエムル―漢江の怪物」も観たいんだよなー。
関連エントリ
殺人の追憶は未レビュー。
→化け物は化け物 「グエムル 漢江の怪物」