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くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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どうせ観た後で苛々するんだろうなあ。と予想はしていたものの
その苛々が予想の斜め上だったので戸惑いながら吐き出させていただく。
今回はネタバレに全く躊躇する気はございませんので
(この映画に関してはそんな気遣いもバカバカしい)
お嫌な方は読まずにおいてちょんだい。






あらすじ

高校生のコユキは打ちこめる事もなく学校では不良達にパシリにされ
何も楽しい事の無い毎日を送っていた。
しかしそんな日々は、竜介というギタリストとの出会いによって大きく変わる。
竜介の影響でギターを始めたコユキは人並み外れたスピードで上達し、
やがて竜介のバンド「BECK」のメンバーに加わる。
竜介のギター、平のベース、コユキの友達であるサクのドラム、千葉のラップに加え
コユキの秘めた歌唱力によってどんどん人気をつけていくBECK。
しかしそんな彼らを疎ましく思う人間の陰謀で、順調に行くかに見えたBECKの行く末には
次々とトラブルが降りかかり…


駄作のあらすじを考える時程無駄な時間はねーぜ。


まあ皆さん言わずもがなの大ヒットなので今さら紹介とかは無用だと思います。
ハロルド作石の漫画「BECK」を映画化した作品。

で、最初に言っておきますが私はこの映画が大嫌いです。
なぜなら不誠実だからです。
音楽に対するリスペクトも
観客に対する誠意も無い事に加えて、
表現するという事(それはつまり映画を作る事そのものでもあるんだけど)
から逃げてさえいる。
それが明らかに分かるのはコユキが歌うシーンだ。
こっからガチネタバレ。


主人公のコユキはギターのサポートメンバーという事でバンドに加入するんだけど、
実は彼は素晴らしい歌唱力も持っていた事が明らかになる。
で、彼が歌うのを聞くだけで誰もが魔法にかかったかのようにその歌声に魅了される。


というシーンが何度も何度もまじしつこいくらい劇中で挿入されるんですが、
我々観客は最後までコユキの歌声を聞く事は無い訳です。
何故ならコユキの歌うシーンではもれなく音が消えるから。
いやほんとに。


歌い始めるコユキ。
目を見張るメンバー或いは聴衆。
ハイスピードに雲が流れて行く空。
サイケな色合いの野原。
水面に落ちる滴。
口をぱくぱくさせているコユキ(多分歌っている)。


こんなシーンが少なくとも三回はあった。
何かそれ、違うだろ!と思わず大人げなく怒ってしまいそうになりました。
まー映画見終わった後存分に怒ったけど。
口汚く。


仮にこの表現が一回か二回であれば、
百歩譲ってクライマックスのフェスただ一回でも音を入れて歌っているのであれば、
許せる。
まあギリで許せる。
でもこれは無理だ。許せない。
 

堤幸彦が何でこんな方法を選んだのか。
理由は明白だ。
あの大袈裟な、胡散臭い、粗雑なはったりでしかない感動描写に見合う歌声は作り出せないと堤幸彦は分かっていたからだ。

コユキを演じる佐藤健が歌上手いのかどうかなんて問題ではない。
コユキの歌はつまり奇跡なのだ。
物語の展開上、奇跡でなければいけないのだ。

奇跡に形は無い。
だから物語上で、特に映画という媒体を使って観客に奇跡を見せるには、
それを具現化してフィルムに焼き付ける必要がある。
その作業こそが映画製作であり、それをして見せる人をこそ映画監督と呼ぶのだ。
堤幸彦はその仕事から逃げた。
そんな事は出来ないと分かっていたから。
結局このおっさんは歌声が奇跡を起こすなんてはなから信じてはいないのだ。
 
しかし堤幸彦の持つ病理の芯はそこにはない。
問題なのは、彼は音楽が起こし得る奇跡だけではなく、
映画が起こし得る奇跡さえも信じていないという点だ。

音楽の持つ武器はライブ感、つまり真実性で
映画の持つ武器は虚構性だ。
良くも悪くも映画は偽物で、観客を騙す物だ。
でもだからこそ 本来そこにはない物語を作り上げる事が出来るし
起こし得ない奇跡を創造して観客に見せる事が出来る。

堤幸彦はそれさえも信じていない。
映画監督のくせに。
観客を騙すのさえ片手間だ。
 

ここで唐突に映画の内容に話を戻します。
 

ライブでコユキが歌えば誰もがその声に酔いしれる。
コユキが歌い終わると、客席からは一斉にコユキコール。
バンドの評判は口コミで次第に広まり、世間からの注目も集まってくる。
ここで微妙になってくるのが、BECKのメインボーカル、千葉の存在だ。

彼はコユキの存在に焦り悩む。
不安になると、ライブでミスをする。リーダーの竜介ともぎくしゃくする。
そしてフェス当日、彼はバンドリーダーの竜介に実質的解雇通告を受け、
打ちのめされてそこから逃げるが、
BECKのライブを外から見て自分を取り戻し、ステージ上にカムバックする。
そして歌う。
 

はっきり言って、この千葉をメインにしたエピソードだけが、
唯一このクソみたいな映画の中で観る価値のあるものだ。
 

ほんでまた唐突にメタ的な視点に戻ります。


千葉のラップは本来口パクで吹き替えになる予定だったけど、
千葉役の桐谷健太の主張により、吹き替えでなく自身で歌う事になったらしい。
彼自身猛練習したと色んなインタビューでも言ってる。


で、そのラップが意外なことに(つったら失礼だけど)普通に上手い。
この音楽を主題にした映画の中で
唯一まともにライブな興奮を観客に与えるのが千葉のパフォーマンスだ。


これは何ともいびつな、皮肉な結果だと思う。
劇中で誰もが酔いしれるコユキの歌声は一切観客に聞こえない。
聞こえるのはバンド中唯一の凡人である千葉のラップ。
しかしそれこそがこの作品を何とか映画の域に押しとどめている。

これは桐谷健太という役者が映画の持つ力を信じていたからだと言っても決して過言ではないと思う。
信じていると言うと大仰だけど、要するに映画を通して観客が見るもの、感じるものを良く分かっていたという事ではないか。
まあ俳優が何考えてんのかなんてこっちに分かる訳も無いのでこれは私の想像ですが。

しかし「BECK」が天才の集まりで千葉だけ凡人だという設定を後から聞いて驚いたぐらい
この映画に出てくる天才たちは味気なくつまらない。
(念のため言うと俳優さんたちは皆とても良かったよ)
要するにこの物語は「天才たちの物語」でもある訳だが、
実際のところこの映画を支えているのは「凡人・千葉の物語」なのだ。


結論:歌いもしない天才よりは 一緒に歌って踊ってくれる凡人のがよっぽど良いわ。


ともあれ巻き込まれたスタッフや役者が可哀想なので
堤幸彦は早々に心を入れ替えるか
さもなくば二度と映画作るな。


千葉の物語としてのみ、オススメです。

 

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