くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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えー。
何かに導かれるようにして始まった三池祭。元はといえば映画エントリがついに100ってところで何も考えず「じゃ三池で!」と宣言した直後に「誰も知らない」を観てしまい、この映画について何も書かずにいるなんて出来ないけど後に置いといたら絶対言う事忘れる!という焦りからむりくりエントリ減らしてカウントダウン方式にしたという話だったわけですが。
しかして始まった祭の初日が「牛頭」ってのが粋じゃーありませんか。
Vシネ(映画館で上映されてはいない)にも関わらずカンヌ国際映画祭に正式招待されたという異例の経歴を持つこの映画、「極道恐怖大劇場 牛頭」は、映画?結構好き。という人種の中で、更に「フォレストガンプ」「ニューシネマパラダイス」「マディソン郡の橋」とかではなくて「フライ2」「ゾンビ」「スターシップトゥルーパーズ」「死霊のはらわた」などを好んで観るタイプの人達の間では割かし有名な映像作品であります。
何故って、まあ単純に頭おかしいからなんですけど、ただ頭おかしいだけの映像作品なら巷に溢れ返ってるわけで、この作品は頭おかしいながらも頭おかしい世界は頭おかしいなりに何だかちゃんと成立しているところがおかしいわけで、完全に気が触れた兄貴(任侠的な意味で)のナビによって頭おかしい世界に入り込むを余儀なくされた至極まっとうな精神世界を持つ主人公が頭おかしい世界の住人に脳髄を揉まれて、結果その世界から逃げるのではなく、飲み込まれるのでもなく、新たな自分の世界を形成するに至るまでのビルドゥングスロマンであり言ってみればこれは三池流「不思議の国のアリス」なんだよ!
って言ってる私を信用してこの映像を見ちゃった人はきっと凄い怒ると思うな。と軽く予想がついちゃうあたり我ながら残念です。
いやいや素直で真剣な感想なんですよこれは…
で、この話の軸は二本あって。それは
「きちがいのアニキ・哀川翔」と「きちがいの地・名古屋」
です。
親父(任侠的なry)のお供で喫茶店に来たヤクザ達。
その中でただ一人、アニキ(哀川翔)が窓の外で談笑している主婦と彼女が連れているチワワに穏やかならぬ視線を向けている。
暫しして親父に彼はこう耳打ちする。
「親父、下がってください。あの犬はヤクザだけを殺すよう訓練された、ヤクザ犬(けん)です。」
そしておもむろに店を出るアニキ(哀川翔)。
躊躇いなくチワワに歩み寄ると、それを掴み、地面に何度も叩きつける。
そして喫茶店の窓硝子にチワワ投げつけフィニッシュ!
血を噴き出し息絶えるチワワ(死骸)。
窓硝子を伝う血の向こうで狂気の笑みを浮かべるアニキ(哀川翔)。
戦慄する親父。
始まりがこんな具合ですから、この映画の狂いっぷりは推して知るべしです。
「あいつは完全にきちがいだから、このまんまあいつを飼ってたら俺の命が危ない」と考えた親父はアニキ(哀川翔)の弟分(主人公)を呼び出し、アニキ(哀川翔)を「ヤクザ処理場」へ連れていくよう命じます。
そんな奇怪なものが一体どこに…?
そりゃ名古屋ですよね。
という流れできちがい(哀川翔)と被害者(主人公)のロードムービーが始まるのですが…
いわばきちがいの地・名古屋(念のため言っておきますがこれはあくまで劇中の名古屋がアウターゾーンであるとゆーことで実際の名古屋がきちがいだの何だのと思っちゃいませんよ私は 手羽先だいすきフリスキー)へと主人公を導く時計うさぎと言っても過言ではないアニキ(哀川翔)はドライブもそこそこに後続車を見て目の色を変え「あれはヤクザを殺すために作られたヤクザ車(カー)だ!」(またか!)と暴れた挙げ句頭打ってご臨終。
んで主人公が混乱したままとにかく落ち着こうと喫茶店(先客に間寛平と木村進という狂いっぷり)で一服している内に車中の死体が消失。 え!死んでたよね!?生きてた!?まさか!?でもじゃなんで消えるんだ!と混乱するものすごい可哀想な主人公。
きちがいの地・名古屋にきちがいのアニキ(哀川翔)を放流したとなればあまりにもまずい!慌てて地元のご同業(顔が半分白い火野正平)に協力をあおぎ、アニキ(哀川翔)(死体)探しが幕を開ける!
あ、ここらへんで漸く半分くらいです。
顔の半分白い火野正平でも見ながら一服してください。
![1584261884.jpg](http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/7f1be5a0fed7ab44ddd8e6a17783effd/1252469009?w=250&h=165)
お疲れ様でした。
んで唐突に私自身の話をしますが。
今私が悩んでるのが「果たしてラストまでネタバレしても良いものか」つー事でね。
良いものかって、そりゃ良くないですよ。
私の住む世界ではネタバレした者は万死に値するという掟がありますから。
ネタバレのネの字でも口にした日には白い目で見られたくないなら死ね、口を滑らした己を恥じながらな!と罵られながら右の眼球を金属の棒でぐりぐりされる世界で生き延びて来ましたから。
しかし私が何よりこの映画、この「牛頭」について指摘したい箇所ってのがもうネタバレせずには説明できないんですよねー…
どうしたもんか…
まー…とりあえず言ってみますよ。ネタバレ抜きで。
この物語はですね。
男と男のラブストーリーです。
…もちろんアニキ(哀川翔)と主人公の、です。
火野正平は当て馬です。顔が半分白い当て馬。
つーても
「あのシーン絶対監督狙ってるwwwwwwww」
「腐女子ホイホイwwwwww」
「あの色気には中の人もメロメロに違いない!」
みたいな妄想の産物ではなく
これはもうはっきりと提示された展開の一つですから。
私の腐女子アンテナがひときわ高機能とかそういう事じゃなく。
三池崇史監督という人は極めてホモソーシャル(男の世界)を描くのが得意な人で、作品のうち大半に必ずヤクザか不良が絡むと言っても過言ではなく、特に「かっこわるいヤクザ」を使うのがとにかく上手くてそーゆーのを描かせるとこの人の右に出るもんはいねーなと私は勝手に思ってるんですが。
しかし例外的なのは、そういったホモソーシャルでの男同士の関係、いわば最も恋愛から遠いがゆえに固く魅力的な関係性が、この人の作品世界では時折あまりにも無邪気に恋愛へ転化してしまう点にある。
以前書いた「46億年の恋」はその最たるもので、三池監督はこの作品を「男同士の『愛と誠』」と公言している。(ちなみに「牛頭」のコンセプトは「デヴィッド・リンチがVシネを撮ったらどうなるか」)
んで、「46億年の恋」では近未来の牢獄という隔絶された(女を排除した)世界と、松田龍平というユニセックスな俳優を使う事でその違和感を薄めていたんだけど、「牛頭」では更に直接的で簡潔で、あっと驚くようなアイデアで男同士の恋愛を合理化しているのだ!…のだ!って感じでもないか。
まあ、それがいかなるアイデアかってのは実際に映画を観て確認していただいてですね…念のため言っておきますと全然ウホッな映画じゃないですからね。ただいつもの三池映画と同じように、この作品が義侠心的な男と男の魂のつながり無くしては成立し得ないというだけでね。
とにかくですね。
この映画。
牛頭をですよ。
観るべきか観ないべきかっつったら絶対観るべきなんですよ。
ただ。
ただですよ!
私今から凄い事言いますよ!
面白くはないかもしれない…
いや私には最高に面白いんですが…
「面白いよ!」とはとてもじゃないが言えない。
「ばかばかしいよ」とか「奇妙だよ」とか「下品だよ」とか
そういう賛辞なら何ダースでも用意できるんだけど…
ただ、この三池崇史という監督に興味を持ったそこのあなた!
アリスのように、新しい世界を覗いてみたいそこのあなた!
キチガイ帽子屋ならぬきちがいアニキの道行にも振り落とされず、最後までついて行ったならそこには衝撃の、口あんぐりエンディングがあなたを待ち受けています。
少なくとも、私はこの映画大好きです!
オススメー!
関連エントリ
愛と誠ってこんな話なのか…(多分全然違う)
→失敗だけど嫌いじゃない 「46億年の恋」
→三池祭第二夜 「大阪最強伝説 喧嘩の花道」
→三池祭第三夜 「龍が如く 劇場版」
→三池祭第四夜 「 DEAD.OR.ALIVE2~逃亡者」
→三池祭最終夜 「オーディション」
何かに導かれるようにして始まった三池祭。元はといえば映画エントリがついに100ってところで何も考えず「じゃ三池で!」と宣言した直後に「誰も知らない」を観てしまい、この映画について何も書かずにいるなんて出来ないけど後に置いといたら絶対言う事忘れる!という焦りからむりくりエントリ減らしてカウントダウン方式にしたという話だったわけですが。
しかして始まった祭の初日が「牛頭」ってのが粋じゃーありませんか。
Vシネ(映画館で上映されてはいない)にも関わらずカンヌ国際映画祭に正式招待されたという異例の経歴を持つこの映画、「極道恐怖大劇場 牛頭」は、映画?結構好き。という人種の中で、更に「フォレストガンプ」「ニューシネマパラダイス」「マディソン郡の橋」とかではなくて「フライ2」「ゾンビ」「スターシップトゥルーパーズ」「死霊のはらわた」などを好んで観るタイプの人達の間では割かし有名な映像作品であります。
何故って、まあ単純に頭おかしいからなんですけど、ただ頭おかしいだけの映像作品なら巷に溢れ返ってるわけで、この作品は頭おかしいながらも頭おかしい世界は頭おかしいなりに何だかちゃんと成立しているところがおかしいわけで、完全に気が触れた兄貴(任侠的な意味で)のナビによって頭おかしい世界に入り込むを余儀なくされた至極まっとうな精神世界を持つ主人公が頭おかしい世界の住人に脳髄を揉まれて、結果その世界から逃げるのではなく、飲み込まれるのでもなく、新たな自分の世界を形成するに至るまでのビルドゥングスロマンであり言ってみればこれは三池流「不思議の国のアリス」なんだよ!
って言ってる私を信用してこの映像を見ちゃった人はきっと凄い怒ると思うな。と軽く予想がついちゃうあたり我ながら残念です。
いやいや素直で真剣な感想なんですよこれは…
で、この話の軸は二本あって。それは
「きちがいのアニキ・哀川翔」と「きちがいの地・名古屋」
です。
親父(任侠的なry)のお供で喫茶店に来たヤクザ達。
その中でただ一人、アニキ(哀川翔)が窓の外で談笑している主婦と彼女が連れているチワワに穏やかならぬ視線を向けている。
暫しして親父に彼はこう耳打ちする。
「親父、下がってください。あの犬はヤクザだけを殺すよう訓練された、ヤクザ犬(けん)です。」
そしておもむろに店を出るアニキ(哀川翔)。
躊躇いなくチワワに歩み寄ると、それを掴み、地面に何度も叩きつける。
そして喫茶店の窓硝子にチワワ投げつけフィニッシュ!
血を噴き出し息絶えるチワワ(死骸)。
窓硝子を伝う血の向こうで狂気の笑みを浮かべるアニキ(哀川翔)。
戦慄する親父。
始まりがこんな具合ですから、この映画の狂いっぷりは推して知るべしです。
「あいつは完全にきちがいだから、このまんまあいつを飼ってたら俺の命が危ない」と考えた親父はアニキ(哀川翔)の弟分(主人公)を呼び出し、アニキ(哀川翔)を「ヤクザ処理場」へ連れていくよう命じます。
そんな奇怪なものが一体どこに…?
そりゃ名古屋ですよね。
という流れできちがい(哀川翔)と被害者(主人公)のロードムービーが始まるのですが…
いわばきちがいの地・名古屋(念のため言っておきますがこれはあくまで劇中の名古屋がアウターゾーンであるとゆーことで実際の名古屋がきちがいだの何だのと思っちゃいませんよ私は 手羽先だいすきフリスキー)へと主人公を導く時計うさぎと言っても過言ではないアニキ(哀川翔)はドライブもそこそこに後続車を見て目の色を変え「あれはヤクザを殺すために作られたヤクザ車(カー)だ!」(またか!)と暴れた挙げ句頭打ってご臨終。
んで主人公が混乱したままとにかく落ち着こうと喫茶店(先客に間寛平と木村進という狂いっぷり)で一服している内に車中の死体が消失。 え!死んでたよね!?生きてた!?まさか!?でもじゃなんで消えるんだ!と混乱するものすごい可哀想な主人公。
きちがいの地・名古屋にきちがいのアニキ(哀川翔)を放流したとなればあまりにもまずい!慌てて地元のご同業(顔が半分白い火野正平)に協力をあおぎ、アニキ(哀川翔)(死体)探しが幕を開ける!
あ、ここらへんで漸く半分くらいです。
顔の半分白い火野正平でも見ながら一服してください。
お疲れ様でした。
んで唐突に私自身の話をしますが。
今私が悩んでるのが「果たしてラストまでネタバレしても良いものか」つー事でね。
良いものかって、そりゃ良くないですよ。
私の住む世界ではネタバレした者は万死に値するという掟がありますから。
ネタバレのネの字でも口にした日には白い目で見られたくないなら死ね、口を滑らした己を恥じながらな!と罵られながら右の眼球を金属の棒でぐりぐりされる世界で生き延びて来ましたから。
しかし私が何よりこの映画、この「牛頭」について指摘したい箇所ってのがもうネタバレせずには説明できないんですよねー…
どうしたもんか…
まー…とりあえず言ってみますよ。ネタバレ抜きで。
この物語はですね。
男と男のラブストーリーです。
…もちろんアニキ(哀川翔)と主人公の、です。
火野正平は当て馬です。顔が半分白い当て馬。
つーても
「あのシーン絶対監督狙ってるwwwwwwww」
「腐女子ホイホイwwwwww」
「あの色気には中の人もメロメロに違いない!」
みたいな妄想の産物ではなく
これはもうはっきりと提示された展開の一つですから。
私の腐女子アンテナがひときわ高機能とかそういう事じゃなく。
三池崇史監督という人は極めてホモソーシャル(男の世界)を描くのが得意な人で、作品のうち大半に必ずヤクザか不良が絡むと言っても過言ではなく、特に「かっこわるいヤクザ」を使うのがとにかく上手くてそーゆーのを描かせるとこの人の右に出るもんはいねーなと私は勝手に思ってるんですが。
しかし例外的なのは、そういったホモソーシャルでの男同士の関係、いわば最も恋愛から遠いがゆえに固く魅力的な関係性が、この人の作品世界では時折あまりにも無邪気に恋愛へ転化してしまう点にある。
以前書いた「46億年の恋」はその最たるもので、三池監督はこの作品を「男同士の『愛と誠』」と公言している。(ちなみに「牛頭」のコンセプトは「デヴィッド・リンチがVシネを撮ったらどうなるか」)
んで、「46億年の恋」では近未来の牢獄という隔絶された(女を排除した)世界と、松田龍平というユニセックスな俳優を使う事でその違和感を薄めていたんだけど、「牛頭」では更に直接的で簡潔で、あっと驚くようなアイデアで男同士の恋愛を合理化しているのだ!…のだ!って感じでもないか。
まあ、それがいかなるアイデアかってのは実際に映画を観て確認していただいてですね…念のため言っておきますと全然ウホッな映画じゃないですからね。ただいつもの三池映画と同じように、この作品が義侠心的な男と男の魂のつながり無くしては成立し得ないというだけでね。
とにかくですね。
この映画。
牛頭をですよ。
観るべきか観ないべきかっつったら絶対観るべきなんですよ。
ただ。
ただですよ!
私今から凄い事言いますよ!
面白くはないかもしれない…
いや私には最高に面白いんですが…
「面白いよ!」とはとてもじゃないが言えない。
「ばかばかしいよ」とか「奇妙だよ」とか「下品だよ」とか
そういう賛辞なら何ダースでも用意できるんだけど…
ただ、この三池崇史という監督に興味を持ったそこのあなた!
アリスのように、新しい世界を覗いてみたいそこのあなた!
キチガイ帽子屋ならぬきちがいアニキの道行にも振り落とされず、最後までついて行ったならそこには衝撃の、口あんぐりエンディングがあなたを待ち受けています。
少なくとも、私はこの映画大好きです!
オススメー!
関連エントリ
愛と誠ってこんな話なのか…(多分全然違う)
→失敗だけど嫌いじゃない 「46億年の恋」
→三池祭第二夜 「大阪最強伝説 喧嘩の花道」
→三池祭第三夜 「龍が如く 劇場版」
→三池祭第四夜 「 DEAD.OR.ALIVE2~逃亡者」
→三池祭最終夜 「オーディション」
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