くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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国と国が仲良いとか悪いとかっつう頭悪い理解の仕方はやめようやめようと思いながら生きてます。
おっとヘタリアの悪口はそこまでだ!(バァーーン)
んでノルウェーとスウェーデンて仲悪いの?
んで「キッチン・ストーリー」。
独り暮らしのおじいさん@ノルウェーの家に「台所における独身男性の動線」の調査のためにスウェーデンからやって来たおじさん(調査員)。
「調査結果に影響を及ぼす恐れがあるため、調査員は決して調査対象とコミュニケーションを取ってはいけません」という規則のため、暫くはお互い一言も口を聞かない日々が続いたが、煙草を切らしたおじいさんに調査員が煙草を差し出したその瞬間から、二人は交流を深めて行く。
何故私が「スローライフ」とか「ロハス」とかいう言葉に殆んど条件反射的な拒絶を示すかと言うと、提唱してる人らの肩書きや職業を鑑みるに、そこにどうしても必要性を感じないからというのがあって、要するにそらまああんたらはスローもファーストも何もかも自分の思うままに出来る程度の余裕はあんだろうけどね。と思うわけである。
まあ経済的余裕と限定しちゃうと違うのかもしんないんだけど、何つーのかある種の「…おめでたいねえ」感は否めない。だって高いじゃん。有機野菜とか米とか豆乳とかさ。こないだナチュラルハウス行ったらクッキー10枚600円とかで目玉出た。
んまー時間と金に余裕のある人間に「やってみようよ、ロハス!」とか言われてもあんま納得行かないわけですよ。体に良い事ばっかり考えてられる人間ばっかじゃないっつーの。
んで話が逸れましたけど、そんな私が認められる、理解できる「スローライフ」は映画で言うと「過去のない男」や「キッチン・ストーリー」なわけです。 つーかアキ・カウリスマキとベント・ハーメルの映画なわけです。
この人たちの映画に私が素直に感動出来たのは、主人公や周囲の人間が決して裕福とは言えないながら、その裕福じゃない事に焦点を据えて嘆く訳でもなく、与えられた状況の中で追求出来る程度の幸せを追求したお話だからなんですよ。無理やりにドラマを作り上げるでもない。不幸面も突飛な幸せ探しも無い。
要するに無駄の無い物語なわけです。んでその「無駄が無い」って事こそがスローライフとやらの提言するその肝のとこだろと解釈するわけです。そこんとこをこの映画はきちんと体現してるよね。与えられた状況ってのがまた割かしどん底なんだけど、物語としての手触りはとても柔らかい。こういうスローライフなら私も好きです。
ちなみにこれらの対極にあるのが「かもめ食堂」(感想)だと思う。あれこそが似非スローライフ。
ところで気になったのが劇中に出てきた会話。スウェーデンはいつもそうだな。戦時中も傍観者だったし。みたいな事をおじいちゃんが調査員に言うシーンがあるんだけど、そういえば北欧の歴史って私全く知らないなあと思い出したのでした。仲悪いのかね?(でエントリ冒頭の流れに戻る)
追記
この映画は1950年代に実際に行われた“台所行動学”の実験をモチーフに描かれているらしいので、舞台背景は1950年代のノルウェーということになりそうだ。だとしたら第二次大戦でのスウェーデンの立ち位置を揶揄するおじいちゃんの言葉も自然だな。つーことで「別に特別仲が悪い訳じゃない」とゆー方向で把握。
見比べてみるのも一興ナリよキテレツゥ!
おっとヘタリアの悪口はそこまでだ!(バァーーン)
んでノルウェーとスウェーデンて仲悪いの?
んで「キッチン・ストーリー」。
独り暮らしのおじいさん@ノルウェーの家に「台所における独身男性の動線」の調査のためにスウェーデンからやって来たおじさん(調査員)。
「調査結果に影響を及ぼす恐れがあるため、調査員は決して調査対象とコミュニケーションを取ってはいけません」という規則のため、暫くはお互い一言も口を聞かない日々が続いたが、煙草を切らしたおじいさんに調査員が煙草を差し出したその瞬間から、二人は交流を深めて行く。
何故私が「スローライフ」とか「ロハス」とかいう言葉に殆んど条件反射的な拒絶を示すかと言うと、提唱してる人らの肩書きや職業を鑑みるに、そこにどうしても必要性を感じないからというのがあって、要するにそらまああんたらはスローもファーストも何もかも自分の思うままに出来る程度の余裕はあんだろうけどね。と思うわけである。
まあ経済的余裕と限定しちゃうと違うのかもしんないんだけど、何つーのかある種の「…おめでたいねえ」感は否めない。だって高いじゃん。有機野菜とか米とか豆乳とかさ。こないだナチュラルハウス行ったらクッキー10枚600円とかで目玉出た。
んまー時間と金に余裕のある人間に「やってみようよ、ロハス!」とか言われてもあんま納得行かないわけですよ。体に良い事ばっかり考えてられる人間ばっかじゃないっつーの。
んで話が逸れましたけど、そんな私が認められる、理解できる「スローライフ」は映画で言うと「過去のない男」や「キッチン・ストーリー」なわけです。 つーかアキ・カウリスマキとベント・ハーメルの映画なわけです。
この人たちの映画に私が素直に感動出来たのは、主人公や周囲の人間が決して裕福とは言えないながら、その裕福じゃない事に焦点を据えて嘆く訳でもなく、与えられた状況の中で追求出来る程度の幸せを追求したお話だからなんですよ。無理やりにドラマを作り上げるでもない。不幸面も突飛な幸せ探しも無い。
要するに無駄の無い物語なわけです。んでその「無駄が無い」って事こそがスローライフとやらの提言するその肝のとこだろと解釈するわけです。そこんとこをこの映画はきちんと体現してるよね。与えられた状況ってのがまた割かしどん底なんだけど、物語としての手触りはとても柔らかい。こういうスローライフなら私も好きです。
ちなみにこれらの対極にあるのが「かもめ食堂」(感想)だと思う。あれこそが似非スローライフ。
ところで気になったのが劇中に出てきた会話。スウェーデンはいつもそうだな。戦時中も傍観者だったし。みたいな事をおじいちゃんが調査員に言うシーンがあるんだけど、そういえば北欧の歴史って私全く知らないなあと思い出したのでした。仲悪いのかね?(でエントリ冒頭の流れに戻る)
追記
この映画は1950年代に実際に行われた“台所行動学”の実験をモチーフに描かれているらしいので、舞台背景は1950年代のノルウェーということになりそうだ。だとしたら第二次大戦でのスウェーデンの立ち位置を揶揄するおじいちゃんの言葉も自然だな。つーことで「別に特別仲が悪い訳じゃない」とゆー方向で把握。
見比べてみるのも一興ナリよキテレツゥ!
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