くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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らっしゃーーーーーーい
続いてはこれだ!
はいきた!!
第三夜は人気ゲームの映画化で話題騒然!
「龍が如く」です!
一度もゲームやったことない私が華麗にレビュー!
御期待アレイ!!(おもに鉄)
関連エントリ
→三池祭第一夜 「極道恐怖大劇場 牛頭」
→三池祭第二夜 「大阪最強伝説 喧嘩の花道」
→三池祭第三夜 「龍が如く 劇場版」
→三池祭第四夜 「 DEAD.OR.ALIVE2~逃亡者」
→三池祭最終夜 「オーディション」
風呂で三池崇史監督作品「D.O.A 2」を再見。やっぱ良いわぁーこの映画。と再確認しますた。三池崇史のこういう作品ってほんともっと評価されて良いよなあと思う。これもあみだの中に入ってますのでいずれ紹介すると思います。想像するだけでたぎる!やったるでぇ!
んで今日は三池祭第二夜。取り上げますのは「大阪最強伝説 喧嘩の花道」です。
原作はスポーツジャーナリストの二宮清純が書いた同名ノンフィクション。
プロレスラーの前田日明と、ボクサーの赤木英和たちの高校時代のエピソードをベースに作られたビデオシリーズの記念すべき第一作です。ちなみに5本くらい作られたらしいが、1作目以降は違う人が監督してるらしいので観ていない。
格闘技ファンからすれば、伝説の2人をモデルにしている(しかし実際の出来事とはおそらく大幅に異なるであろう)という点だけでも「買いですぜ!」てなもんらしいけども、私そこらへんは詳しくないのであまり分かりません。でもそこらへんを抜きにしても、この作品は間違いなく一級品の青春映画です。
浪花西高の玉井カズヨシ(やべきょうすけ)、天南高の浜田タケシ(北村一輝)。彼らは大阪でやたら喧嘩の強い男たちとして名を馳せていた。不良全盛期の大阪で、当然ぶつかる筈だった彼ら2人は、しかし運命に翻弄されて何度も何度も そう広くない小さな街で擦れ違い続ける。カズヨシはいつもつるんでるトシオとリツコとの三角関係に巻き込まれ、トシオは恋と自身の家庭の事情に苦しみ、タケシは上手く行かない父親との関係に苛立ち…青春の苦しさから逃げるように、自分一人ではどうにもできない苛々を爆発させるように、彼らは殴り合い、ぶつかりあい、何故なら彼らはそうする事でしか互いの、或いは自分の存在を確認出来ないからであって、そんな不器用な男たちの青春を暖かくコミカルに、時折物悲しく描き出した本作。なんですが。
もう何か…三池祭だ!なんつってノリノリでこれ書いてるんですが、書こうと思えば思うほど「いやこれ書くべきじゃねーな」なんて思えてきちゃうのは、間違いなくこの作品を観てもらうのが一番良いからなわけで。こんな駄文読んでる暇があったらみんなレンタル屋さんに走れば良いじゃない!!(元も子もない)
この映画は、持つ者と持たざる者をくっきりと描いています。持つ者はカズヨシ。両親はおらず、祖母と二人暮らし。夢はボクサー。トシオと一緒にラーメン屋でバイトをしながら喧嘩に明け暮れる毎日。
持たざる者がトシオ。妻に逃げられてから精神を病み、子どものようになってしまった父親と二人暮らしをしていて、喧嘩が強く学校でも人気者のカズヨシとは親友でありながら、彼に対してひっそりとしたコンプレックスを抱いている。クラスメートのリツコに恋をしているが、彼女の好きな人はカズヨシであることを知ってしまう。
この二人の人生を対比して描写するんだけど、私の中ではトシオが主役です。演じてる奥田智彦さんも非常に良いです。
オープニングシーンでは大阪の街中で、街頭テレビ中継に群がる人々のやりとりと、狭い路地を弟分と一緒に逃げているヤクザらしき男が交互に映される。やがてその男が広場に出ると、テレビの前に人だかりが出来てて、画面には東京で今から始まるらしい異種格闘技戦の会場が映し出されている。熱狂する観客の声に出迎えられ、入場する一人の男。その姿を見てヤクザの男が「カズヨシ!」と叫ぶ。
その男は、成長したトシオだった。
かつての親友だった男たちの片方はボクサーになり、もう片方はチンピラになって街頭で親友の試合を見守っている。
そして映画は、彼らが高校生だった時代に戻って語り始めるのである。彼らの運命が、いかに彼らの人生を分けたか。
もうこの展開だけで泣けそうです。
加えてその高校生活が、また何て爽やかで馬鹿馬鹿しくて眩しい事か。
そのセリフ一つ一つが本当に活き活きとしていて良い。
NAKA雅MURAという脚本家の仕事は見事に賛否両論で(まあこれは三池崇史も一緒だけど)、結構な駄作と評される映画(「どろろ」とか「ドラゴンヘッド」)にも携わっていたりして、手放しで絶賛出来るとは思わないんだけど、この日常にしっくりと馴染むようなやりとりとか台詞回しは文句無しに凄いと思う。
なおかつ随所でバシッバシッと泣ける台詞も仕込んで来るのが侮れない。
この映画ではタイヘイ夢路演じるカズヨシの祖母(この人間違いなく助演女優賞)が人生に迷うトシオに向ける一言が出色。
「まだまだや。生きてる限り、どっこい本番はこれからや。負けたらあかんでぇ、今おまえが考えてるもんと人生はちゃう。戦こうていけ!好青年!」
映画全体が暖かい、優しい視線に満ちている。
それはかつての自分を見るように登場人物を見ることが出来る人間にしか持ち得ない視線だ。
成り上がる者もいれば道を踏み外す者もいる。人生の半ばでどん底まで落ち込んでも、それはまだ人生とは違う。
運命に翻弄され、過去に振り回され、傷ついて落ち込んで、それでも戦う為に立ち上がった時に人生はようやく幕を開けるのである。
観終わった後、無駄にわきあがる感動と闘志は一体何なんでしょう。
これ観て戦え!
激!オススメ!
関連エントリ
→三池祭第一夜 「極道恐怖大劇場 牛頭」
→三池祭第三夜 「龍が如く 劇場版」
→三池祭第四夜 「 DEAD.OR.ALIVE2~逃亡者」
→三池祭最終夜 「オーディション」
こんばんちわ!
「火天の城」と「しんぼる」と「TAJOUMARU」を観て来た(一日でな)事については全く触れないままただひたすらあみだを引きまくる事でお馴染の私が参上(しぱっ)
ということで次回俎上に上がる作品をご案内シマッシモ。
相変わらず酷い画質!
ということで、第二夜は「大阪最強伝説 喧嘩の花道」で参ります!三池崇史とNAKA雅MURA記念すべき初コンビ作品!だったはず!
乞うご期待フヒヒ!
関連エントリ
→三池祭第一夜 「極道恐怖大劇場 牛頭」
→三池祭第二夜 「大阪最強伝説 喧嘩の花道」
→三池祭第三夜 「龍が如く 劇場版」
→三池祭第四夜 「 DEAD.OR.ALIVE2~逃亡者」
→三池祭最終夜 「オーディション」
えー。
何かに導かれるようにして始まった三池祭。元はといえば映画エントリがついに100ってところで何も考えず「じゃ三池で!」と宣言した直後に「誰も知らない」を観てしまい、この映画について何も書かずにいるなんて出来ないけど後に置いといたら絶対言う事忘れる!という焦りからむりくりエントリ減らしてカウントダウン方式にしたという話だったわけですが。
しかして始まった祭の初日が「牛頭」ってのが粋じゃーありませんか。
Vシネ(映画館で上映されてはいない)にも関わらずカンヌ国際映画祭に正式招待されたという異例の経歴を持つこの映画、「極道恐怖大劇場 牛頭」は、映画?結構好き。という人種の中で、更に「フォレストガンプ」「ニューシネマパラダイス」「マディソン郡の橋」とかではなくて「フライ2」「ゾンビ」「スターシップトゥルーパーズ」「死霊のはらわた」などを好んで観るタイプの人達の間では割かし有名な映像作品であります。
何故って、まあ単純に頭おかしいからなんですけど、ただ頭おかしいだけの映像作品なら巷に溢れ返ってるわけで、この作品は頭おかしいながらも頭おかしい世界は頭おかしいなりに何だかちゃんと成立しているところがおかしいわけで、完全に気が触れた兄貴(任侠的な意味で)のナビによって頭おかしい世界に入り込むを余儀なくされた至極まっとうな精神世界を持つ主人公が頭おかしい世界の住人に脳髄を揉まれて、結果その世界から逃げるのではなく、飲み込まれるのでもなく、新たな自分の世界を形成するに至るまでのビルドゥングスロマンであり言ってみればこれは三池流「不思議の国のアリス」なんだよ!
って言ってる私を信用してこの映像を見ちゃった人はきっと凄い怒ると思うな。と軽く予想がついちゃうあたり我ながら残念です。
いやいや素直で真剣な感想なんですよこれは…
で、この話の軸は二本あって。それは
「きちがいのアニキ・哀川翔」と「きちがいの地・名古屋」
です。
親父(任侠的なry)のお供で喫茶店に来たヤクザ達。
その中でただ一人、アニキ(哀川翔)が窓の外で談笑している主婦と彼女が連れているチワワに穏やかならぬ視線を向けている。
暫しして親父に彼はこう耳打ちする。
「親父、下がってください。あの犬はヤクザだけを殺すよう訓練された、ヤクザ犬(けん)です。」
そしておもむろに店を出るアニキ(哀川翔)。
躊躇いなくチワワに歩み寄ると、それを掴み、地面に何度も叩きつける。
そして喫茶店の窓硝子にチワワ投げつけフィニッシュ!
血を噴き出し息絶えるチワワ(死骸)。
窓硝子を伝う血の向こうで狂気の笑みを浮かべるアニキ(哀川翔)。
戦慄する親父。
始まりがこんな具合ですから、この映画の狂いっぷりは推して知るべしです。
「あいつは完全にきちがいだから、このまんまあいつを飼ってたら俺の命が危ない」と考えた親父はアニキ(哀川翔)の弟分(主人公)を呼び出し、アニキ(哀川翔)を「ヤクザ処理場」へ連れていくよう命じます。
そんな奇怪なものが一体どこに…?
そりゃ名古屋ですよね。
という流れできちがい(哀川翔)と被害者(主人公)のロードムービーが始まるのですが…
いわばきちがいの地・名古屋(念のため言っておきますがこれはあくまで劇中の名古屋がアウターゾーンであるとゆーことで実際の名古屋がきちがいだの何だのと思っちゃいませんよ私は 手羽先だいすきフリスキー)へと主人公を導く時計うさぎと言っても過言ではないアニキ(哀川翔)はドライブもそこそこに後続車を見て目の色を変え「あれはヤクザを殺すために作られたヤクザ車(カー)だ!」(またか!)と暴れた挙げ句頭打ってご臨終。
んで主人公が混乱したままとにかく落ち着こうと喫茶店(先客に間寛平と木村進という狂いっぷり)で一服している内に車中の死体が消失。 え!死んでたよね!?生きてた!?まさか!?でもじゃなんで消えるんだ!と混乱するものすごい可哀想な主人公。
きちがいの地・名古屋にきちがいのアニキ(哀川翔)を放流したとなればあまりにもまずい!慌てて地元のご同業(顔が半分白い火野正平)に協力をあおぎ、アニキ(哀川翔)(死体)探しが幕を開ける!
あ、ここらへんで漸く半分くらいです。
顔の半分白い火野正平でも見ながら一服してください。
![1584261884.jpg](http://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/7f1be5a0fed7ab44ddd8e6a17783effd/1252469009?w=250&h=165)
お疲れ様でした。
んで唐突に私自身の話をしますが。
今私が悩んでるのが「果たしてラストまでネタバレしても良いものか」つー事でね。
良いものかって、そりゃ良くないですよ。
私の住む世界ではネタバレした者は万死に値するという掟がありますから。
ネタバレのネの字でも口にした日には白い目で見られたくないなら死ね、口を滑らした己を恥じながらな!と罵られながら右の眼球を金属の棒でぐりぐりされる世界で生き延びて来ましたから。
しかし私が何よりこの映画、この「牛頭」について指摘したい箇所ってのがもうネタバレせずには説明できないんですよねー…
どうしたもんか…
まー…とりあえず言ってみますよ。ネタバレ抜きで。
この物語はですね。
男と男のラブストーリーです。
…もちろんアニキ(哀川翔)と主人公の、です。
火野正平は当て馬です。顔が半分白い当て馬。
つーても
「あのシーン絶対監督狙ってるwwwwwwww」
「腐女子ホイホイwwwwww」
「あの色気には中の人もメロメロに違いない!」
みたいな妄想の産物ではなく
これはもうはっきりと提示された展開の一つですから。
私の腐女子アンテナがひときわ高機能とかそういう事じゃなく。
三池崇史監督という人は極めてホモソーシャル(男の世界)を描くのが得意な人で、作品のうち大半に必ずヤクザか不良が絡むと言っても過言ではなく、特に「かっこわるいヤクザ」を使うのがとにかく上手くてそーゆーのを描かせるとこの人の右に出るもんはいねーなと私は勝手に思ってるんですが。
しかし例外的なのは、そういったホモソーシャルでの男同士の関係、いわば最も恋愛から遠いがゆえに固く魅力的な関係性が、この人の作品世界では時折あまりにも無邪気に恋愛へ転化してしまう点にある。
以前書いた「46億年の恋」はその最たるもので、三池監督はこの作品を「男同士の『愛と誠』」と公言している。(ちなみに「牛頭」のコンセプトは「デヴィッド・リンチがVシネを撮ったらどうなるか」)
んで、「46億年の恋」では近未来の牢獄という隔絶された(女を排除した)世界と、松田龍平というユニセックスな俳優を使う事でその違和感を薄めていたんだけど、「牛頭」では更に直接的で簡潔で、あっと驚くようなアイデアで男同士の恋愛を合理化しているのだ!…のだ!って感じでもないか。
まあ、それがいかなるアイデアかってのは実際に映画を観て確認していただいてですね…念のため言っておきますと全然ウホッな映画じゃないですからね。ただいつもの三池映画と同じように、この作品が義侠心的な男と男の魂のつながり無くしては成立し得ないというだけでね。
とにかくですね。
この映画。
牛頭をですよ。
観るべきか観ないべきかっつったら絶対観るべきなんですよ。
ただ。
ただですよ!
私今から凄い事言いますよ!
面白くはないかもしれない…
いや私には最高に面白いんですが…
「面白いよ!」とはとてもじゃないが言えない。
「ばかばかしいよ」とか「奇妙だよ」とか「下品だよ」とか
そういう賛辞なら何ダースでも用意できるんだけど…
ただ、この三池崇史という監督に興味を持ったそこのあなた!
アリスのように、新しい世界を覗いてみたいそこのあなた!
キチガイ帽子屋ならぬきちがいアニキの道行にも振り落とされず、最後までついて行ったならそこには衝撃の、口あんぐりエンディングがあなたを待ち受けています。
少なくとも、私はこの映画大好きです!
オススメー!
関連エントリ
愛と誠ってこんな話なのか…(多分全然違う)
→失敗だけど嫌いじゃない 「46億年の恋」
→三池祭第二夜 「大阪最強伝説 喧嘩の花道」
→三池祭第三夜 「龍が如く 劇場版」
→三池祭第四夜 「 DEAD.OR.ALIVE2~逃亡者」
→三池祭最終夜 「オーディション」
何かに導かれるようにして始まった三池祭。元はといえば映画エントリがついに100ってところで何も考えず「じゃ三池で!」と宣言した直後に「誰も知らない」を観てしまい、この映画について何も書かずにいるなんて出来ないけど後に置いといたら絶対言う事忘れる!という焦りからむりくりエントリ減らしてカウントダウン方式にしたという話だったわけですが。
しかして始まった祭の初日が「牛頭」ってのが粋じゃーありませんか。
Vシネ(映画館で上映されてはいない)にも関わらずカンヌ国際映画祭に正式招待されたという異例の経歴を持つこの映画、「極道恐怖大劇場 牛頭」は、映画?結構好き。という人種の中で、更に「フォレストガンプ」「ニューシネマパラダイス」「マディソン郡の橋」とかではなくて「フライ2」「ゾンビ」「スターシップトゥルーパーズ」「死霊のはらわた」などを好んで観るタイプの人達の間では割かし有名な映像作品であります。
何故って、まあ単純に頭おかしいからなんですけど、ただ頭おかしいだけの映像作品なら巷に溢れ返ってるわけで、この作品は頭おかしいながらも頭おかしい世界は頭おかしいなりに何だかちゃんと成立しているところがおかしいわけで、完全に気が触れた兄貴(任侠的な意味で)のナビによって頭おかしい世界に入り込むを余儀なくされた至極まっとうな精神世界を持つ主人公が頭おかしい世界の住人に脳髄を揉まれて、結果その世界から逃げるのではなく、飲み込まれるのでもなく、新たな自分の世界を形成するに至るまでのビルドゥングスロマンであり言ってみればこれは三池流「不思議の国のアリス」なんだよ!
って言ってる私を信用してこの映像を見ちゃった人はきっと凄い怒ると思うな。と軽く予想がついちゃうあたり我ながら残念です。
いやいや素直で真剣な感想なんですよこれは…
で、この話の軸は二本あって。それは
「きちがいのアニキ・哀川翔」と「きちがいの地・名古屋」
です。
親父(任侠的なry)のお供で喫茶店に来たヤクザ達。
その中でただ一人、アニキ(哀川翔)が窓の外で談笑している主婦と彼女が連れているチワワに穏やかならぬ視線を向けている。
暫しして親父に彼はこう耳打ちする。
「親父、下がってください。あの犬はヤクザだけを殺すよう訓練された、ヤクザ犬(けん)です。」
そしておもむろに店を出るアニキ(哀川翔)。
躊躇いなくチワワに歩み寄ると、それを掴み、地面に何度も叩きつける。
そして喫茶店の窓硝子にチワワ投げつけフィニッシュ!
血を噴き出し息絶えるチワワ(死骸)。
窓硝子を伝う血の向こうで狂気の笑みを浮かべるアニキ(哀川翔)。
戦慄する親父。
始まりがこんな具合ですから、この映画の狂いっぷりは推して知るべしです。
「あいつは完全にきちがいだから、このまんまあいつを飼ってたら俺の命が危ない」と考えた親父はアニキ(哀川翔)の弟分(主人公)を呼び出し、アニキ(哀川翔)を「ヤクザ処理場」へ連れていくよう命じます。
そんな奇怪なものが一体どこに…?
そりゃ名古屋ですよね。
という流れできちがい(哀川翔)と被害者(主人公)のロードムービーが始まるのですが…
いわばきちがいの地・名古屋(念のため言っておきますがこれはあくまで劇中の名古屋がアウターゾーンであるとゆーことで実際の名古屋がきちがいだの何だのと思っちゃいませんよ私は 手羽先だいすきフリスキー)へと主人公を導く時計うさぎと言っても過言ではないアニキ(哀川翔)はドライブもそこそこに後続車を見て目の色を変え「あれはヤクザを殺すために作られたヤクザ車(カー)だ!」(またか!)と暴れた挙げ句頭打ってご臨終。
んで主人公が混乱したままとにかく落ち着こうと喫茶店(先客に間寛平と木村進という狂いっぷり)で一服している内に車中の死体が消失。 え!死んでたよね!?生きてた!?まさか!?でもじゃなんで消えるんだ!と混乱するものすごい可哀想な主人公。
きちがいの地・名古屋にきちがいのアニキ(哀川翔)を放流したとなればあまりにもまずい!慌てて地元のご同業(顔が半分白い火野正平)に協力をあおぎ、アニキ(哀川翔)(死体)探しが幕を開ける!
あ、ここらへんで漸く半分くらいです。
顔の半分白い火野正平でも見ながら一服してください。
お疲れ様でした。
んで唐突に私自身の話をしますが。
今私が悩んでるのが「果たしてラストまでネタバレしても良いものか」つー事でね。
良いものかって、そりゃ良くないですよ。
私の住む世界ではネタバレした者は万死に値するという掟がありますから。
ネタバレのネの字でも口にした日には白い目で見られたくないなら死ね、口を滑らした己を恥じながらな!と罵られながら右の眼球を金属の棒でぐりぐりされる世界で生き延びて来ましたから。
しかし私が何よりこの映画、この「牛頭」について指摘したい箇所ってのがもうネタバレせずには説明できないんですよねー…
どうしたもんか…
まー…とりあえず言ってみますよ。ネタバレ抜きで。
この物語はですね。
男と男のラブストーリーです。
…もちろんアニキ(哀川翔)と主人公の、です。
火野正平は当て馬です。顔が半分白い当て馬。
つーても
「あのシーン絶対監督狙ってるwwwwwwww」
「腐女子ホイホイwwwwww」
「あの色気には中の人もメロメロに違いない!」
みたいな妄想の産物ではなく
これはもうはっきりと提示された展開の一つですから。
私の腐女子アンテナがひときわ高機能とかそういう事じゃなく。
三池崇史監督という人は極めてホモソーシャル(男の世界)を描くのが得意な人で、作品のうち大半に必ずヤクザか不良が絡むと言っても過言ではなく、特に「かっこわるいヤクザ」を使うのがとにかく上手くてそーゆーのを描かせるとこの人の右に出るもんはいねーなと私は勝手に思ってるんですが。
しかし例外的なのは、そういったホモソーシャルでの男同士の関係、いわば最も恋愛から遠いがゆえに固く魅力的な関係性が、この人の作品世界では時折あまりにも無邪気に恋愛へ転化してしまう点にある。
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んで、「46億年の恋」では近未来の牢獄という隔絶された(女を排除した)世界と、松田龍平というユニセックスな俳優を使う事でその違和感を薄めていたんだけど、「牛頭」では更に直接的で簡潔で、あっと驚くようなアイデアで男同士の恋愛を合理化しているのだ!…のだ!って感じでもないか。
まあ、それがいかなるアイデアかってのは実際に映画を観て確認していただいてですね…念のため言っておきますと全然ウホッな映画じゃないですからね。ただいつもの三池映画と同じように、この作品が義侠心的な男と男の魂のつながり無くしては成立し得ないというだけでね。
とにかくですね。
この映画。
牛頭をですよ。
観るべきか観ないべきかっつったら絶対観るべきなんですよ。
ただ。
ただですよ!
私今から凄い事言いますよ!
面白くはないかもしれない…
いや私には最高に面白いんですが…
「面白いよ!」とはとてもじゃないが言えない。
「ばかばかしいよ」とか「奇妙だよ」とか「下品だよ」とか
そういう賛辞なら何ダースでも用意できるんだけど…
ただ、この三池崇史という監督に興味を持ったそこのあなた!
アリスのように、新しい世界を覗いてみたいそこのあなた!
キチガイ帽子屋ならぬきちがいアニキの道行にも振り落とされず、最後までついて行ったならそこには衝撃の、口あんぐりエンディングがあなたを待ち受けています。
少なくとも、私はこの映画大好きです!
オススメー!
関連エントリ
愛と誠ってこんな話なのか…(多分全然違う)
→失敗だけど嫌いじゃない 「46億年の恋」
→三池祭第二夜 「大阪最強伝説 喧嘩の花道」
→三池祭第三夜 「龍が如く 劇場版」
→三池祭第四夜 「 DEAD.OR.ALIVE2~逃亡者」
→三池祭最終夜 「オーディション」