くしゃみしたらヘッドホンはずれた
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ログ庫更新。
アドレス忘れたって?
エイチティーティーピースラッシュスラッシュあのサイトの名前ドットブログ103ドットエフシーツードットコムだよこのやろう!!
ぱっと見て意味分かるか微妙なんですけど
簡単に言うとみんなでチーズフォンデュ食べに行ってテンション上がったからメニューをお題にみんなの持ちキャラで1レスずつ打って遊んだって話だお。
この遊びすげー楽しいのであーいうサイトに出入りしてた人たちで会う時には超オススメ。
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今日も今日とて検索キーワードをしらしらと眺めていたら
新たな展開。
「クローズzero2 哀川翔 役名」
!!!!!!
な、何だってー!
あんたどこまで哀川翔しか見てねーんだよ!!
(前回検索してきた人と同一人物かは知りません)
つーても、あんな一瞬しか出てこない人に役名は…無いんじゃないですか?
若頭役だって事しか私も知らないっす。あれ若頭ですよね?(それさえも不安)
それにしても哀川翔人気は衰えませんな。
良き哉良き哉。
そんな翔ラー達には
以下の映画たちをお勧め。
→三池祭第一夜 「極道恐怖大劇場 牛頭」
→三池祭第四夜 「DEAD.OR.ALIVE2~逃亡者」
そういえばこれ書いてなかったわ。
まー説明するほどの事は何も無いでしょう。
あの人のライブのリハを映画にしたやつです。
でね。
正直私はあの人のファンでもないし、世代的なズレもややあるためか全くあの人に興味が無い人間なんですけど。
そんでいくら何でも亡くなってすぐ間もなさすぎね?って事とか2週間限定上映を後から4週間に伸ばすやり方とか、リハーサルを映画にしちゃう反則感とか、あとどっかで聞いた「完璧主義者だった弟はリハーサルを観客に見せるのをよしとしないのでは…」というマイコーのブラザーの声とかそういうあれこれをひっくるめて どっか冷めた印象を持ってたんですどっちかっつえば。つえばね!
んでも友達から熱烈なプッシュが入ったので、まあ見てみようかしらん。と思って行って来た次第。
凄いのがさー。
観てきたのが六本木ヒルズのTOHOシネマズで、そん中で一番大きいシアターだったんだけどそれがほぼ満席だった事。
最前列まで人ぎっしり。
水曜日でも何でもない平日の夜ですよ?ありえない。
んで、曲が終わる度に何人か拍手してたりする。映画まだ終わってないのによ?これはさすがにいつもは映画の最中に発せられる雑音全てファックとさえ思ってる私もムカつけない。
ただすげーな。と思う。
で、ちょっと話は前後するけど。
映画の冒頭にダンサーのインタビューが入る。
彼らは今回のツアー参加に際してのオーディションを勝ち抜いた、よりすぐりの精鋭達だ。
美しくて、ダンスが完璧。スタイル抜群で才能に溢れてる。でもそこまでは当然の条件で、その上で他から抜きん出た華のある人だけが、彼の側でスタッフとして踊る権利を手にする事が出来るのだという。
で、インタビューにはそんな人達がもうキャッキャしながらマイケル・ジャクソンと踊れる!という喜びを隠さずに語る様がありのまま映されている。
僕は毎朝シリアルを食べるより先に欠かさずムーンウォークをするよ!とか
オランダからオーディションのため地球を半周して来たよ!とか
2日前にオーディションがあると知って、全てを置いて飛行機に飛び乗ったよ!とか
皆口々に「夢が叶った!」と言って涙ぐむ。
で、私自身の話をすると、もうあの人の事なんか全くと言って良い程知らない訳ですよ。
寧ろマイナスなんですよイメージとしては。ロリコンとか!整形とか!
そんな私を周囲の空気が苛むんです。
お前は何も知らねえと。
あの人がどんだけ凄いか全然分かってねーと。
不安になるじゃないですか。そんなの。
え、まじで。ほんとに?そんなすごいの?って。
そんな言うなら証拠見せろよ!ってなるでしょ。
見せられる訳ですよ。満を持して。
まあこんなんきっと観た人みんな言ってるだろうから言いません。とにかくすべき事は目を皿みたいにしてスクリーンを凝視するだけ。あとは気付いたら身体が自然に動くから。勝手に足がリズム取っててビビるから。
エンドロールが終わり、明るくなった場内を 割れんばかりの拍手が包み込む。こんなん初めて見たよ。
でも此処に至ってはすげーなとさえ思わない。
まあそうだよね。
そら拍手もするわいな。
そう思う。
しかし何とも貴重な体験をしました。
こんなに愛されていた人だったんだなあってことを、観客の反応やあの人を取り囲んでいるスタッフ達の姿勢や一言一言で感じたし、漠然と今まで抱いていた「何がすごいんだろう」「何故あんなに騒がれてるの?」っていう疑問に、これ以上無い形で答えてくれた映画だと思う。
この「目から鱗」っていうか、ああこういうことだったんだ!こういう人だったんだ!っていう何かが解消したような心地よさは、むしろファンじゃない人の方が感じられるところかもしれない。
何よりどうせファンは既に最低一度は観てるだろうし。
大してファンじゃないよ、ていうかほとんど知らないよ、何か整形した人でしょ?ポウって言う人でしょ?
ぐらいの。そんな感じの非常に淡白なイメージしか持ってない人にこそオススメ。
さて。長々と時間をかけている割に大した事を書いてない、でお馴染みのお話でございますが。
前回は原作で言うところの「夕凪の街」にあたる部分までの紹介をしましたが、今回はその続き。約50年後の東京に舞台を移した続編「桜の国」にあたる部分に触れます。
で、私はこの映画版については「夕凪の街」に関してはあまり評価出来ないんだけど、「桜の国」の展開というか、語り口には結構満足している。
まずキャストの面で、「夕凪の街」よりも粒揃いで演技力も安定している。
七波を田中麗奈、七波の友人・東子を中越典子が演じている。この二人が実に良い。
凪生役の金井勇太も、さほど登場は多くないが印象的だった。
物語は、七波が父・旭の不審な行動に疑問を持ち、駅で17年ぶりに出会った小学校の同級生である東子と父の尾行をするところから始まる。
父が広島行きの夜行バスに乗り込んだところで諦めようとした七波を、何故か東子が強引に押しきり結局二人で広島へ。
そこで物語は旭と、彼の今は亡き妻である京花の出逢いを、七波と東子の道行きに絡めて語り始める。
それらふたつの時間軸を持って、被爆者というラベルを付けて生きざるを得なかった人々、そのラベルを無視出来ずに生きる人々の悲しみに寄り添うように静かに描かれる本作は、「夕凪の街」と同様、いやそれよりも映像化に向いた物語であると言えるが、この映画で特に私が「おお」と思ったのは、平和祈念館から帰って来た東子が思わず気持ち悪くなってしまうシーンだった。
ぐったりしている東子を支えながらやむを得ず、七波はラブホテルに入る。部屋の鍵を開けて扉を開いた瞬間、七波を突然のフラッシュバックが襲った。小学校から帰宅して、床に血を吐いて倒れている母親を発見した時のことを思い出したのだ。立ちすくんでいた七波は、東子の謝る声を聞いて我に返る。
彼女の方に振り返ると、自分の左肩に彼女の吐瀉したものがかかっていた。耐えきれず吐いてしまったらしい。
で、吐いたものをこの映画では結構はっきり映している。邦画ってこういう、いわゆる汚物の描写からさらっと逃げる事が良くあるので、正直ちょっと意外で、かなり好印象だった。
同時に、何故これを「夕凪の街」で出来なかったのかと残念に思った。
皆実の唐突で残酷な、救いのない死を描写する上で決して外せないモノローグ、
「夜おそく まっくろな血を吐いた」
これをしっかり映像で見せていれば、この作品を映像化するという意思を強く感じられたのになあと思う。
映像化するということは、文字通り映像にして客に見せるという事であって、絵に描かれたものをそのまま映像に起こすだけではもちろん駄目だけど、見せるべき絵というものもやはりあるわけで。そこを外してまさに換骨奪胎、といった様相の映画化が特に日本映画には多い気がする。過剰な気遣いが作品のメッセージ性を殺してしまうというか何というか。
まあ、わざわざ恐ろしいものや醜いものを映さずに表現して観客に理解させるというのも手腕の一つといえば一つ。この作品でそれが出来てるかは人それぞれの判断として。
いずれにしろ、原作にも触れることを前提にして、オススメです。
理解する必要は無いかもしれないけど、出来る限りの事を見て聞いて考える必要のある事だとは思う。
だから映像化にもそれなりの意義はあったんじゃないか。と思いはする。思いはするんですが…
原作と映画、どっちが先でも良いけど、まあ多分原作先の方が分かりやすいかな…
んで映画観たら次に「イキガミ」観て金井勇太の演技力を判定するもよし、「おろち」で中越典子の女優ぶりにおののくもよし。
関連エントリ
中越典子の「影」と「裏」(あれ、光は?)
→美猫たちの闘い 「おろち」
忘れていた訳じゃないんだ。
(第一声が言い訳)
時間が経てば経つ程何を言えば良いのか分からなくなるという不思議について、
「それ全然不思議とちゃう、時間が経つにつれ記憶が薄れとるだけや」 と兄ちゃんからもっともな指摘をされて目が覚めた節子(27)。 そうか!みたいな。
んでねー。
この映画取り上げるとなると必然的に原作の漫画に触れざるを得ないんですよ。そこが、この映画の感想に手間がかかる原因なんですよ。映画だけについてなら「いまいち」の一言で終わるんだから(あっ)。
まあ、今さらこうの史代の「夕凪の街 桜の国」という名作について何やかや言うのも気が退けるのであらすじとかは省きます。この作品をご存知無い方は深く反省した後に本屋へ走って下さい。
これは間違いなく、現代を生きる我々が読んでおくべき名作ですから。
買うなら文庫版が手軽でおすすめ。
で。決して映像化に向いてない漫画ではないと思う。絵柄も素朴だし、アクロバティックな展開(?)も無い。
ただ非常に淡々と進む物語なだけに、そのまま映像化したらただの地味な映画、になってしまう恐れはあるかもしれないが。まあそんくらい。
寧ろ原作の奥行きのない背景は、実写化することで一気に説得力を獲得するかもしれない。
展開は見事に原作通りで、まず最初に終戦から10年後の広島が舞台の「夕凪の街」編、それが終わってから現代の東京が舞台の「桜の国」編と続く。
個人的にはこの2つを混ぜて、異なる時間軸をクロスオーバーさせたりするのも楽しそうだけど。と思ったりもするが、まあこれは別にどっちでも良い。
「夕凪の街」の主人公・皆実は麻生久美子。ビジュアル的に悪くない感じ。あのおっとり感が似てるかも。恋人の打越豊役は吉沢悠。これもなかなか良かった。
ただねー。
この原作を映像化する上で絶対外しちゃいけないのが、あのあまりにも唐突に残酷に訪れる死だと思うんですよね。
あの死は、主人公に死を受け入れる時間を与えてくれちゃ駄目だと思う。
主人公は、「10年経った今でもわけがわからない」ものに、好きな人が出来て、その人が自分の負い目(たくさんの人を見殺しにして生き延びたこと)を聞いてくれて、受け止めてくれて、そんで漸く前向きに生きていこうと思えた途端に殺されたのであって、だからこそあの、死に際のモノローグが意味を持つのではないか。
なぁ、嬉しい?
10年も経ったけど、原爆を落とした人は私を見て
『やったぁ!また一人殺せた!』
って ちゃんと思うてくれちょる?
それは、自分に訪れたあまりにも不条理な死に、誰かの意思を、理由を、必然性を欲する主人公の叫びではないか。
何故自分が、終戦から10年経った今死んで行かなければならないのか、どうせ死ぬなら何故あの日ではなかったのか、という問いに答える声を欲したからこその言葉ではないか。
その問いに与えられる答えが、世界中の何処にも無い事こそが原爆という世界最悪の兵器がもたらした最大の悲劇なのではないか。
映画版の皆実は、少なくとも原作よりは心安らかに死を迎えているように見える。
家の裏にある野原で、木にもたれて弟・旭と打越のキャッチボールを眺めながら死んでいく。
原作ではかなり壮絶な死が、あまりにも淡々と描かれる凄味があるのだが、私はそれこそをしっかり映像化すべきだったんじゃないかと思う。
何故なら、これは救われる余地のある物語であってはならないからである。
だからこそ物語はおよそ50年後に舞台を移し、続かなければならなかったのだ。
第二部「桜の国」こそが、皆実の壮絶な、不条理な、無意味な死に対する唯一の答えなのである。
まさかの続く!