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今すっかり旬の話題となっているネタですが、ベルばらの池田理代子が朝日新聞で問題発言だそうです。
「私は今まで飛鳥という地が身近すぎて、聖徳太子も描く気にははれなかった。 しかし、ある漫画家が、聖徳太子と毛人の霊的恋愛を描いたことに『違和感を覚えました。』 それで私は彼女とは違って、史実に忠実に、『聖徳太子』という漫画を描いた」 (検証スレッドより引用)
同業者の仕事に「違和感を覚えた」とメディア上で言っちゃう池田先生は凄いなあ。怖いもんなしだな。
ま、そんな考えなしの人が描く漫画は果たして違和感なく面白いのか?という話になるとこれがそういうわけでもないようで まあ詳しくは検証サイトなども出来ているようなのでそちらを参照してください。
実は私、この検証サイトというものが大好物でして、全く知らん同人作家やら漫画家やらがだれそれの絵をパクっただの、あの小説のエピソードをそのまんま使ってるだのいうネタがあると見ずにはいられないのです。
が、「パクリ」なんてちょこざいな真似をするのだからどいつもこいつも小粒(というか無名)の輩ばかりなりで検証サイトマニアとしては些か不満。
怒涛の比較画像を上から下までぜーんぶ見て、ふーん・・・で終わる。というのが大体の流れだったのですが、今回は何と双方プロ、しかも大御所中の大御所。
何たってオスカルが厩戸の王子に食ってかかったってんですからそりゃあ凄いことです。
私からすれば盆と正月が肩組んでマイムマイム踊ってるレベルの賑々しさ。
週末なのをこれ幸いと、金曜の夜が更けてから明けるまで、たっぷり時間をかけて楽しませていただきました。
いやあ見ごたえがあったなあ。
しかし、池田理代子の漫画は何というか、行間を読ませるのに向いてない作風ですな。
ネームがストレートすぎるというか。描線が空気をはらんでないというか。
カチッカチッと線が決まっているのね。山岸涼子や萩尾望都の絵って、もっとこう線が遊んでいるように見えたりするんだけど。
なんというか、そういう率直な描き出し方は、例えば山岸涼子が厩戸皇子に宿らせた「不安定ながら強力な、得体の知れない能力」だとか「男と男の間にある、執着とも恋ともつかぬ想い」だとか、そういった形や名前を持たないものを描写するには向いてないんだろうなと思う。
要するにやおい向きではないと。別に向いてなくたってちっとも困りゃしないと思うが。
どーせならオスカルみたいに粋で一筋縄ではいかない頼れる男・厩戸皇子を描けば良かったのになあ。
何であんなに山岸版に似せて描いてしまったんでしょう。
やはりあの作品の影響力は無視しようとしてしきれるものではなかったということかなあ。
あと本家(本家ってのも池田版に失礼だけど)厩戸の持つ中性的な、というか、彼岸だか此岸だかよう分からん人間離れした存在としての危うさもこの絵では無理だろうなあ。と思う。池田さんの絵って男は男だし、女は女。表紙の絵を見ても分かるとおり(上図参照)厩戸皇子も確かに男。その絵柄で厩戸の頭に花つけたり女装させてどっかに忍び込ませたりするから違和感が生ずるのだろう。案の定、女装(変装?)した厩戸(左図参照)は絵的に完全に女だし。別に中性的に描かなきゃいけないってんじゃないんだから(山岸版がイレギュラーなだけで)それならそれで良いのにねえ。ほんと。いっそ厩戸が男装した少女とかだったら良いんじゃない。ってのはさすがにベルばらファンに怒られるかしら。私が。
ところで検証スレを覗いてたらみんな日出処の天子を「処天」と略していて
これなんて読むんだろうとぼんやり考えてたら
「ところてん」
なのね。
面白いこと考えるなあー笑っちゃったよ。
ずっと検証サイト見てたらまた読みたくなってきてしまった。
これ売っちゃったんだよ・・もったいないことをしました。
騒動も一段落してからスレの流れが猫も杓子も池田ファン叩きみたいになっちゃったので今はあんまり面白くないです。検証スレって大体こんな感じになっちゃうのが嫌だなあ いつも。
(3/18 追記)